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昭和から平成を経て、新しい時代が来る前にまとめておきたい様々なこと [日々感じること]

今佐藤区が思う日本の様々な問題を一回まとめようと思います。

日本の領土問題
どのタイミングで日本の領土は決定されたのかを考えるだけで完了しそうなのだが、どうしていつまでもぐだぐだなっちゃうんだろう?歴史をゆっくりじっくり振り返って見たところ、佐藤の認識では、ヤルタ会談からポツダム宣言によって、対日終戦条件・戦後処理方針は規定され、日本の主権を本州・四国・九州・北海道と付属小島(これがどこを指すかは調べていない)に限定されているはずである。この段階で敗戦国の日本は無条件にこの決定に従うことで終戦したはずなのである。あそこは元々日本古来の領土なんだという考え方は通用しない。残念ながら、日本は戦争で負けたのであって、領土が減るのは自業自得なのだと思う。それを、敗戦国である日本が戦勝国アメリカ軍の庇護の下、領地についてあーだこーだ言うのをどの国が聞けるというのだろう?戦争とは陣取り合戦で、命の奪い合いで、日本は敗戦国であるということを、日本人は忘れてはならないのだと思う。21世紀になっても、戦後73年経ってもそのことは不変の事実なのである。高度経済成長を遂げて以降の日本人の中に、太平洋戦争に負けた国という認識は薄い。逆にアメリカに次ぐ世界2位の国なのだ(だったのだ)から、世界各国の中にあっても優位でいられるという思いは強い。

負けた国だからこそ、倹しく、争わずに世界の中で存在感を発揮するべきところなのだと思う。平成は戦争のない唯一の時代だと言うが、世界に大変な迷惑をかけた敗戦国であるからこそ、未来永劫戦争をしないと誓った国であることを肝に銘じたい。これからもずっと日本人は戦争をしないのである。

在日米軍と沖縄問題
そもそも、米軍が必要な理由をもう一度洗いなおそう。そのうえで本当に沖縄にあることがいいのかを検証したい。戦争をしない国はまず、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に賛同するべきだと思う。唯一の被爆国である日本が核兵器を認めるような動きをしてはいけない。戦後日本に暮らす日本人のアイデンティティーの大前提は、核兵器を禁止することであると信じる。与党はそう思っていないみたいだが。

北朝鮮に拉致された人たちに関する問題
北朝鮮による拉致はあったという国際認識があるのであれば、せめて、お墓参りくらいできるように日本政府は動くべきだ。被害者の方たちが、生きている生きていないを確かめるのも必要かもしれないが、現地に家族が行って、拉致家族の生活の様子を知って、死んでいるとされている方の埋葬されている場所に速やかに立ち会わせてあげたい。綺麗ごとでは済まされない年月の残酷さがある。待ったなしの第一課題のはずだ。政府は自分のこととしてもっと考えなければならない。

自分の子供が突然消えるという恐怖。
犯人が目の前にいるということの恐怖。
その犯人と交渉している様子が全く感じられないという恐怖。

どの恐怖が一番大きいか。日本も同罪じゃねーか。恐ろしい。

原発問題
すでに安全神話は崩壊しているにも関わらず、まだ動かそうとする理屈がどうしても理解できない。制御出来ないものが動き続けることになぜ政府は疑問を抱かないのか?お金のことがあるのなら、動かすのも、壊すのも同じだと思うがどうだろう?今後何十年もかけて廃炉にしていくのであれば、廃炉に向けて仕事が減ることはない。
核廃棄物の最終処分場も各都道府県に置くべきだ。責任は共有しよう。誰もが煙たがるものをなぜ必要だと言うのだろう?だからこそ逆に煙たがるのを辞めたい。受け入れてしまおう。その方が理屈に合う。
原発問題に付随して、除染作業にかかる費用が、被災した方たちに流れずに、関係のない団体の経営陣に流れていることをどう思っているのか?被災者が作業しているということもないのかもしれないが、少なくとも命を懸けて(本当に命懸けかは別として、誰もしたがらない作業であることは間違いない)作業している方たちが潤わずに、手配している人間が潤うという報道の真偽はすぐにはっきりさせて欲しい。こんなに頭にくることもなかなかない。どうしてこういうことがまかり通るのか?出鱈目にも程がある。

・被災する。避難する。なかなか生活が思うようにならない。
・よそから被災地に稼ぎに来ます。いつまでも作業が終わらない。作業員ではない関係者の懐が温まる。

このように、被災者と復興者の流れが分断されているように感じるが、本当のところはどうなのだろうか?この流れが間違っていないのであれば、とにかく違和感を感じる。

・被災する。避難する。自分たちで街を復興していく作業員になる。ちゃんと報酬が出る。今後の生活の足しになる。(平等に潤う。誰かが偏って潤わないようなシステム作り)

ボランティアばかりに目が行きがちだけど、復興は自分たちでしていくことが大事なのではないだろうか?お金と人の使い方をもう一度見直すことは出来ないものか。

余りにも理不尽なことが多くないかな。

安倍政権によりふたをされたまま放置されている様々な事柄
森友、加計問題の不自然さはどうしてもぬぐい切れない。学校を建てるという行為と、学校を開校するという決定の間にある様々な矛盾も含めて、問題がシステムの中にあるということを確かめたい。統計不正の問題も根っこは同じ。バレなければ大丈夫というのは、20代から薬を使っていたと言っている芸能人と同じはずなのに、芸能人は逮捕されたが、政府の職員はのうのうと毎年給料が上がる公務員であり続けるという理不尽さはどうしても呑み込めない。

こんな人たち集まる日本の中枢が、以上の問題を真剣に解決して行くとはとても思えないというのが、今のところの結論になってしまうのかな。

これから生まれてくる子供たちに何かを伝えられる大人でありたい。佐藤区はそんな思いで活動しています。日本人である以上、避けては通れない問題に対して何を思うのか。

無関心ではいられないから。佐藤区は考え続けます。

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何かに影響される幸せ [日々感じること]

犬(キロク♂)を飼って間もなく3年。最近は朝の散歩を母さんがしてくれるのですが、リードを付けて家を出て行く時に佐藤の方を全く振り向かずに、キロクはスーーっと家を出て行ってしまいます。「あー俺じゃなくてもそりゃ行くよね」ってちょっと寂しく感じたんです。その時に、母さんの昔の話を思い出しました。

うちは姉さんと年子で、佐藤が生まれる少し前、姉さんは伯母の家に預けられていました。たまに母さんが遊びに行って帰るときが来ると、姉さんは「バイバイ」って振り向きもせずに伯母の家に入ってしまったそうです。その時、何とも言えない寂しい気持ちになったという話を幾度となく聞いていました。

キロクの様子を見ながら、その時の母さんの気持ちが、より深く理解できました。

面白い。

そんなことを思いながら、家を出て、キロクとは反対方向へ歩き出して、ふと振り向くと、車が来ていたらしく、母さんはリードを引っ張っています。キロクは犬の性ですかねえ、引かれた方には動こうとしません。そんな様子を見ながら、誘拐される子供のことをふと思ったんです。

昔やった芝居で、子供と嫁を殺される役をやったことがありますが、「そんなもんか?」とダメ出しされたことを思い出しました。怒りの気持ちは理解できても、親として悲しかったり苦しかったり申し訳なさとか悲しさとか、もっと深いところは理解できてなかったなあと突然思いました。今どはまりの韓国ドラマ「被告人」のチソン演じるパク・ジョンウ検事の子供を思う演技のより深い部分が見えたという思いがしましたね。

あと突然の横田めぐみさんです。

横田夫妻の思いはテレビでお二人の様子を見られるから、北朝鮮許せん!!とか横田夫妻可哀想だなとか思えていましたが、同じようにかそれ以上に可哀想なのは、めぐみさんなんだなと誘拐される側の恐怖に思いが至りました。やっとそう思えたねえ。

横田夫妻が高齢になってきたからじゃない。拉致された人達の気持ちを考えたら、とにかく一刻も早く会いに行かなくてはいけない。帰る帰らないの前に、北朝鮮にさらわれたのは分かっているんだから、連れ戻すとかそういうことじゃなくて、会いに行く道筋を付けて欲しい。孫が日本に来たんだから、北朝鮮に会いに行ったっていいじゃないか。どうやって解決しようとしているのか分からないけど、北朝鮮情勢が変わってきた今このタイミングだからこそ、日朝首脳会談の早期実現を望みたい。

そんなことだけじゃなく、野球でも試したいプレイが一つあるし。サッカーの川島のパンチングから、突然世界基準が見えてきたり。

目を見開いていると日々何かしら気付くね。佐藤の目がでかい理由が分かってきた。よく見るためだね(笑)

そんなことを書いていたら嫁から連絡が。佐藤のテンションが求められてる現場があるらしい。行くしかないな。

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野球の練習でも、お芝居の稽古でも「本番でやらないことはやらない」という覚悟がいいプレイヤーを作る。 [日々感じること]

「本番でやらないことはやらない」。お芝居でも野球でもなんでもいい。高みを目指すならば圧倒的に必要な思い。そこまでを目指さないのであれば苦しいだけだけどね。

本番でやらないことって何だ?

ざっくりし過ぎて焦点が広がってしまうよね。でも、言葉にするとそうなる。何のためにやっているのか分からないことはやらないってことなんだけど。やらないことって言うからぼやけるのか?本番と練習は変わらないってことなんだけど、どう話せば伝わるのか?

佐藤がどこでそれを感じたのかを書いてみればいいのかな?

まずは野球の話。小学2年の時。佐藤は野球を始めました。何も考えずに野球をしていましたが、毎日練習していても何が上手くなっているんだか分からない日々が小学校~高校まで続きます。自信を持ってプレイすることが出来ない。これ分かりますかねえ?こんなこと書くと当時のメンバーに怒られそうですけど敢えて書きますが、そうだったんだあーーーって気が付いたのは、30歳を過ぎてからなのね。あの時はそうだったんだなあってね。

きっと佐藤は子供のころからそこそこ野球がやれてたんです。だから一応レギュラーに選ばれたりする訳です。それはそれで嬉しかったんですもちろん。だけど、だからといって俺は上手いんだ!とか、上達してるぜ!!という思いにはならないんですね。年数を重ねるにしたがって、どうしたら俺は上手くなるんだ!!上手いって何だ!!俺より上手い奴いるぞ!!挙句の果てには、野球ってなんだ?ってね、ずっとそんなこと思ってたなあ。「そんな思いの奴の補欠だったのか俺は!!」と怒るチームメイトもいるでしょう。すみません。

正直高校野球は苦しかったなあ。正解が分からなくて。上手くなってる手応えがないのにレギュラーでいることが苦しかった。もともと持っているものだけでやってればいいだけなら練習いらないんですよ。苦しかったなあーー。だって練習しても練習しても上手くなっていく手応えがないんですから。

さて、それでも佐藤は、そんな思いのまま大学野球に進みます。これが不思議なところなんですが、都大会2回戦レベルの男が、大学野球を選択するというミラクル。魔が差したというかね。魔が差して大学野球は選ばないとは思いますが、そこが佐藤のネジが外れている部分なんですかね?(後にソニーを辞めるのと同じ脳みそであることは間違いなさそうですが)そのときは、せっかく六大学に入ったんだから、大学野球を極めてみよう!と思うわけです。野球への憧れというか、ずっとプロを目指してやってきたからね。心のどこかで上手くなりたい。本当の野球を知りたいという思いもあったと思う。野球したかったんだなあ俺。

でもね。大学で野球をやって本当によかった。いや本当によかったです。すぐですよ。1年の夏前には何を上手くなればいいのかが分かりましたから。一つ上に後にジャイアンツに入る仁志敏久さんという先輩がいて。練習中、キャッチャーからのスローイングがセカンドベースの手前でワンバウンドしてきた時に、佐藤は上手にショートバウンドで捕ったんですけど、「それじゃアウトにならねーだろ!」って怒られたんです。そのときですよ。全てが分かりました。

アウトにすればいいのかあーーーー!!!!!
そのために練習してたんだあーーーー!!!!

ってことですよ。そりゃそうだけどなかなか気付けない。どう?分かる?

ベースの手前でどれだけ上手に捕っても何にもならないということですよ。アウトにしたければ、ベース上でハーフバウンドで捕る。どっちみちセーフになるのであれば、ハーフバウンドで勝負した方がアウトになる確率は上がる。万が一逸らしても、センターがちゃんとカバーしてくれていれば大丈夫。おっちょこちょいなランナーなら、その瞬間に離塁が大きくなったりして、またアウトを取れる可能性が出てくる。凄い広がりだ!!!

何に気が付いたのかというと。

それまでの佐藤は簡単に言えば監督に怒られないようにやっていただけだったということに気が付いたんです。それだけじゃなく、もっといい形で捕ろうとか、グラブ捌きをもっと華麗にやらなければとか、そんなことばかり考えながら練習していたんですね。上手くなることはかっこよくプレイすることと思っていたんだと思います。アウトにならないようなプレイをして喜んでいたんだろうなあ。でも違った。アウトに出来たことで喜べばいいのよ。だって、やらなければいけなかったのは、アウトにすることなんだから。なんでもいいからアウトにすることだけを考えていればよかったんです。形なんて汚くてもいい。兎に角アウトにすることに命を掛けていればよかったということに突然気が付いた瞬間でした。考えてみると、アウトにしたいからいい形で捕球したいし握りかえも早くしたいし、守備範囲も広げたい訳よね。

「それじゃアウトにならねーだろ!」

それからの佐藤の野球は、アウトに出来る打球を一つでも多く増やすことに収斂していきます。アウトにするために走り、投げ、転がり、叫ぶ。見たことのある打球ならこれ知ってる!と思いながらアウトにし、見たことのない打球なら、こんな打球みたことないぜ!記憶しなければ!と引き出しを増やし、必要な距離を投げられるように筋トレをして、逆にアウトになりたくないから足を早くする。もうねえ、何を練習していてもアウトに繋がることに喜びを感じながら野球に取り組めているんです。その思いは44歳を過ぎた今も変わっていません。凄いことだ。一つのきっかけだけですよ。だからそれ以降は、野球をやる以外にも、サッカーを見ていても、バレーを見ていても、新聞や雑誌、小説を読んでいても、アウトにするヒントを探している自分がいますよ。これがどういうことか分かりますか?

一生楽しめる。

ということですよ。高校までの、ポテンシャルだけで勝負する野球しかしらなかったとしたら、練習の重要性も分からないし、年とともに衰えていく自分が嫌になって野球をしなくなっていたかもしれません。それがなんと。

一生楽しめる野球。

になったということの幸せよ。プロの選手が毎日毎日ちゃんと練習する意味も分かるというものですよ。年を取ろうがなんだろうが、アウトにしたいという思いだけで、野球が楽しめるんだから、そりゃ幸せですよ。一つアウトを取ったらそれだけで本当に幸せです。誰かがアウトを取っても嬉しい。アウトを取っている姿は美しいんです。しかもそうなると練習も本番もないんですね。とにかく打球が飛んだらアウトにしよう!!それだけ。野球ってそれだけです。俺の野球は幸せ野球です。

全ての練習は本番のためになるしかない。本番も練習も変わらない。

ということですね。これ以上練習しても本番でミスが出たら大変だから、新しいことはやるのはよそう。ってことにならない。そうではなくて、新しいアウトの取り方が見つかれば、本番中でもやっていいというのが、佐藤の見つけた野球です。そもそもミスらない人間はいないしね。もしも対戦相手のプレーを見てあんなアウトの取り方があるんだーーーって思ったら取り入れればいい。うちはそういうプレイはしませんからっていうのがない。なぜなら、目的がアウトだから。アウトのバリエーションはあればあるだけ有利なんだから。そして、本当にアウトのことばかり考えてグランドにいると、緊張もしなくなるんです。

ここもポイント。

緊張はへっぽこの自分を見せたくないという自分自身の思いだから、一つもチームのためにならないんですね。そういえば、かっこよくとか、華麗にということを目的に練習していた時は、本当にミスしてたなあーー。逆にアウト、アウトって思ってグランドに集中するとミスも減ったし、そもそも緊張する暇がないんですね。打球に集中できるから。面白いよなあーーー。それからはミスしても、ミスするということは、捕れない打球があるということだから、もっと練習するしかないなっていうシンプルな思いに繋がっていったなあ。

野球の話ばかりしてますが、そうでした。佐藤の幸せの話は置いておいて。お芝居の話。お芝居も同じです。お芝居にとってのアウトアウトっていうものは何だろう?と佐藤は思ったんです。

答えは簡単。「感情」と「キャラクター」でした。

お芝居で言うと、「お前プロだろ!」っていう言葉をもらって「俺はプロなんだな」って思うようになったとか、「それ面白いの?」っていう言葉を頂いて「面白いには答えがあるのか」という思いになり、最終的には「それじゃアウトにならねーだろ!」と同じようなきっかけがちゃんとありました。

以前参加したお芝居に、自称音楽関係者という役があり(なんじゃその役は)、ダブルキャストでしたが佐藤は衣装も派手なアッパーな業界人を作り、片や逆班の俳優さんは地味目な業界人を作り上げるというね。同じ役なのに全く違う役が出来上がったことがあって。まずどうしてそういう役作りなったかという理由はちゃんとありまして、共演者とのバランスですね。佐藤のチームは見た目でも誰かが派手さを出さないとシーンとして面白みが出ないだろうなという佐藤の判断で、逆班はその逆で、他に面白3人組がいたのでそこを浮き上がらせるために地味な作りに、やっぱりその俳優さんの判断で作りました。キャラ設定は基本俳優に任されていると思うよ。見せた者勝ちだよね。不採用になっても引き出しは増えるということだからね。下手だと思われたら嫌だから試さないっていうのは、自分勝手なことですよ。作品のために必要だと思ったら、下手でも何でも作り上げるしかないんだから。それが俳優の仕事なんだから。ま、それは置いておいて、ということで、同じ役なのに、全く違うキャラクターが生まれたんですね。そこからが面白い。何が面白いかというと、肝になるシーンでの感情がお互いまるっきり同じなんですね。本当にびっくりしましたよ。ここです。佐藤はこの時に確信したんです。

シーンごとに表現されるべき感情はストーリーの中に書かれている。その感情はキャラクターによって左右されなくていい。あとは、キャラクターごとに(俳優ごとに)その感情をどう表現すればいいのかを考えればいいということ。

佐藤はよく逆班を偵察に行って、自分の感情は合っているのかの確認に行きます。もちろんこの時も確認のために逆班の俳優さんの使っている感情を見に行きました。そうしたら見事に同じで。ここで怒って、嫉妬して、許して、悲しむ。みたいなね。「だよねだよね」と出さなきゃいけない感情の確認が出来たのです。もちろん稽古も本番も自信を持って演じましたよ。

ということで、俳優は台本をもらったらとにかく、感情のチェックをしようと。そこさえあっていれば、ストーリー上困ることは何もない。そして稽古期間一ヶ月を使って何をするのか?台詞を覚える、動きを覚えるっていうのは、練習のための練習だから、必要な人が自分の時間でやればいいわけだからそういう作業は除くと、稽古期間に俳優がやる作業は、物語の中の感情を抜き出して、この感情であっているのか?、キャラクターとの整合性は取れているのか?、他の役との関係性に破綻はないか?のチェックをしていればいい。キャラクターは他の役とのバランスもあるしね。その間に演出家は演出という足枷をどんどん嵌めて来る。ここに立て、この間尺で動け、喋れ、笑え、みんなで揃えろ等演出は演出の武器をこれでもかを投下して来る。ただ足枷は多ければ多いほど、同時に感情も決まって来るから、実は役者にとっては大きなヒントであることも多い。稽古だろうが、本番だろうが、感情表現にだけ気持ちを割いていればいい。

じゃあ、滑舌や発声は?ダンスはやらなくていいの?

ってなる?ここも野球と繋がるところだよね。遠くに投げられる方がアウトになる確率が上がるっていうのと同じように、どんなキャラクターでも演じられるように、どんなトリッキーなキャラクターでも演じられるように、滑舌よく喋れたほうがいいし、キレよく動けた方がいい。それというのも、あらゆる感情表現するために持っていた方がいいというスキルなだけ。滑舌がいいからいい役者って訳ではないでしょ?

とにかく俳優は感情だけを考えていればいい。どの感情をどの大きさで使えばいいのかを考えてくれる俳優は信用できる(野球で言うアウトを取ることだけに集中しているプレイヤー)。目立ちたい。面白くしたい。だけを考える俳優は信用できない(野球で言う華麗さを求めるプレイヤー)。感情表現が素晴らしいから面白い。感情表現が巧みだから目立つ。若手はそういう俳優を目指して欲しいなあー。

ということで、「感情」と「キャラクター」どっちも面白い方がいいとは思いますが、まずは感情を的確に表現できる俳優になることを目標にする。その上で、自分の容姿や声を使って感情表現できるキャラクターを増やして行く。

これだけでも一生ゴールはなさそうでしょ?

新しい感情表現に出会ったときの感動。面白いキャラクターを思いついた時の感動。そのうち「感情」表現は当たり前だから、もらった台本の中でどんな「キャラクター」で演じればいいかなあーーってそんなことばかりを考えるようになるよね。そしてどんな作品を見ても、俺にはあのキャラやれるかなあとか、俺の容姿でやるにはどんなキャラクターの方がいいかなあーーとか。そんな風に作品と向き合うようになるよね。それが上達するということ。

ね、一生楽しめるでしょ?

どうですか?いい練習してますか?ただやらされていませんか?どんな思いを持ってもいいけれど、きっとやっていくうちに最終的にこの思いに辿り着くはずです。試してみてください。佐藤は色々反論を試みましたが、これ以上シンプルな思いは見つけられませんでした。

とにかく、練習して上達しよう。日々の高まりを感じよう。練習して何を上手くなればいいのかが分かった時、野球でも、芝居でも、他のこと何でもかんでも、信用できるプレイヤーに近付くのかな。年取って腕がないっていうのは辛いよ。

「現状で満足しているプレイヤーは信用できない。 日々上達することを目指すことがプレイヤーとして生きると決めた人間の使命である。」

練習して何が上手くなっているのかが分からないと思っていた若いときの自分に本当に教えてあげたい。

お祝いコメントありがとうございます!44歳になり、突然歯に物が挟まるようになりました(笑) [日々感じること]

充実の日々を過ごしています。

ボルダリングのシューズを買いました。まだ一回しか行けてないけど、暇見て行く気十分です。

3109の新商品の試作品作りが楽しくて楽しくて。犬用のデニムキャリートートを作ったり、下駄デニムを作ってみたり、デニムスマホケースや、スマホキャリーポーチとか。デニムの加工が楽しくて楽しくて。

あとねえ。

うちのわんこキロクさんが可愛くて可愛くて。



あーーーー、歯に物が挟まりさえしなければ、こんなに幸せなことはないのにね(笑)

これが年を取るということなのよね。受け入れるしかないの。

震災も同じよね、地球に生きている限り、受け入れるしかないの。それでも人は生きる。諦めずに立て直す。こんなときに人間力は試されるんだと思う。亡くなった人の分もしっかりと生きるようにする。3.11を経て感じたことだなあ。

余震が早く収まるまでは我慢だね。辛抱してください。

ということで、44歳のこの年をしっかり生きていこうと思います。

ありがとうございました。

戦争と虐待と権力と犯罪心理と小劇場と俺の野球。 [日々感じること]

最近、戦争に参加したある兵士が主人公のお芝居を見た。上官からの命令によって民間人を殺さなければならないというそんな時、どうすればよかったのか?人はなぜ人を殺せるのか?徴兵されるまでは善良な市民だったはずなのに。

善悪とは何か?
誰が悪いのか?
悩む人間が弱いのか?
罪はどこにあるのか?

そんなことを改めて考えさせられるテーマだったんだと思う。答えはない。

全ては戦争のせいだと片付けてはいけないことなの?戦後生まれの日本人は憲法で戦争をしないと誓った国に生まれて、もう戦争はしませんと言うことしか武器がなく、戦争の非を誰に謝ればいいのかは、国と国の話だから深く立ち入る訳にもいかず。何故なら、もう戦争はしないので仲良くしてくださいと言えれば十分だからです。その先の話は政治家に任せるしかない。目に見えるファインプレーを早く見たい。見てみたい。

またテレビドラマの中でも似たような空気が。気にしていることは、知らず知らずキャッチ出来るもんだなといつも思う。

刑務所の看守達が囚人を虐待している。それは看守達が誰にも知られずに独占出来る力で、中の一人の看守はそんな仕事に耐えられず、転職をしようとするが、虐待をばらされるのを恐れた看守達は手に入れた権力を守るために彼を殺害する。

犯罪心理学に「スタンフォード監獄実験」というのがある。恐らくこのドラマもこの実験のことを言っていたんだと思う。

「権力への服従」
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
「非個人化」
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。

似たような権力に逆らえないという実験に、「アイヒマン実験」というのもあるらしい。ちょっと調べるとすぐ出てくる。そのくらい普通のことみたいだね。

話が反れるけど、俺は権力を持ったことがない。だからその力によって誰かをねじ伏せるということをしたことがない。手に入れたねじ伏せる力を無くさないように、権力を振りかざしたこともない。

ふと思う。

世の中そんなことばかりじゃないのかと。戦争をテーマにした舞台、歪んだ社会がある刑務所が舞台のテレビドラマ。この時代も環境も違う二つのドラマを見て、余りにも感じることが似ている。世の中は昔も今も何も変わらない構造の中にある。世界平和は声高に叫ばれても、戦争がなかった時代はない。今でもどこかで戦争は繰り広げられている。世界のあちらこちらで、権力者は力の及ぶ人達を戦わせるということで、自分が守られたいのだろう。その結果、全く関係ない普通の人間が巻き込まれる世界。

身近にはお芝居の世界も全くその通りだと思える。

学生時代に同じタイミングでお芝居を始めて、役者を選ぶ者、演出を選ぶ者、音響、照明、大道具、小道具、衣裳、ヘアメイク同じタイミングでやりたいことを決めただけで、そこには権力構造なんかなかったはずなのに、いつからか、演出を選んだ人間は偉い人になってしまう。他の人間と何も変わらない一つのスタッフワークに過ぎないはずなのに、自分の仕事を権力と勘違いして振りかざし始める。そして学校を卒業すると今度はプロデューサーという訳の分からない更に権力を振りかざす人種が現れて突然肩書きを持った知らない人が増えていく。

もう初めに思っていたものとは全く違うものになってしまっているんだろうね。

普通の人間からしたら「知らねーよ」って話。

そう「知らねーよ」なのである。最初に書いた最近見た戦争の舞台でも、一番グッと来たセリフだった。俺を巻き込むな!という気持ち凄く分かる。大きい声でバカ野郎!と怒鳴り付けていたシーンが嬉しかった。

役者は権力とは関係ない。ただ上手くなりたい。どんな役でもやれる技術を付けたい。付けた技術を試せる場所が欲しい。ただそれだけでいい。そこを邪魔される筋合いは誰にもない。

そこを分かってくれる人達とお芝居が出来ている人は幸せになれると思う。上手くなりたい役者を評価出来る権力者に会ってみたいもんだ。偉い人を偉い人とだけ評価して喜んでいる人間がいかに多いことか。

芝居では叶わなかったけど、幸い佐藤には野球の世界で、いつでも野球が上手くなりたいと思っている佐藤を評価してくれる仲間がいるチームに出会えた。チームメイトももちろん上手くなりたい選手ばかり。こんな幸せな話はない。

俺はただ上手くなりたい。出来ることはそれしかないから。何に対してもその思いは変わらない。


どうしても自分のやり方が好きな若い子が目につく。100年経ってもどうにもならないと思う。 [日々感じること]

真似したらすぐよくなるのに、自分でやり方を発見したいんだろうとしか思えない馬鹿な若手が本当に目につく。

既に当たり前のことさえ、自分で見つけなきゃ気がすまないのか、先輩の技の素晴らしさが分からないのか、とにかく自分のやり方が大好きなんだなあーーーと思えるやつがどこに行っても目につく。

馬鹿だなあと思う。

人は人だから。って生きるしかない人種が目につく。

とにかく真似しろよ。先輩と自分の違いを気付けよ。自分は自分とか思う前に、お前は何も出来てないと皆が思ってることに気付けよ。

そういうやつほど、自分は自分なりに出来ていますからと思っているふしがあって、気持ち悪い。

とにかく頭ごなしに怒鳴れない今の世の中は、人が育たない世の中だなと、昭和が懐かしい。

本当に昭和のおっちゃんには生きにくい世の中だわ。

家が好き。 [日々感じること]

そういうのない?

家で飲みたいし、家でご飯食べたいし、家で飲みたいし寛ぎたいっていうね。まあ、寛げるように直しちゃうんだけどね。

とにかく家が好き(笑)

叱られたくないというのは、死に直結すると思うんだよね。 [日々感じること]

叱る人の心理を俺は知っている。心のどこかに

「危ねーじゃねーか!」

っていう思いがある。気を付けていないと危険があることに気が付いているか?人に怪我させるかもしれないし、自分も怪我するかもしれないし、下手したら死ぬよ?ってことを、大きな声で

「何をしてんだよ!」

の一言に込めているはず。叱られた側は、気が付いていないから、大きな声で怒られたと思うだけなんだよね。もっと小さな声で丁寧に言われれば分かるのにとか思っちゃうんだろうね。だから怒鳴られるんだよ。そんな悠長な状況じゃないの。

死ぬぞ!殺しちゃうぞ!は大きな声で「危ねー!」って言わなきゃいけない状況なんだよ。そのあとには必ず「大丈夫か?」って言われていることには気が付いてないんだろうなあーーーー。

今の日本人はのほほんと生きている人間が多過ぎて、生き死にの危機感さえ麻痺してしまっているんだなあ。だから子供が命を粗末に扱うんだよね。

犯罪を犯さないのも、悪いことをすると死刑だって、死ぬのは怖いことなんだって思うから罪を犯さないようにしなきゃって俺は思ってた
けど、悪いことしたってどうせ死刑にならないしって考える人間も多いんだろうと思う。特に子供ね。未成年で生き延びようとするむかつく奴等ね(笑)

殆どの人は叱られて反省することなんて出来ないみたいな気がする。だって何を叱られているのか分からないんだから。あの人何で怒ってんだろ?って思ってそうだよね。これじゃ駄目だ。

なんとも恐ろしい世の中だよ。


大人になったねと言われる42歳。 [日々感じること]

本当に10年遅いんだよね俺。もう10年早く気が付いていたらもっと楽に生きられていたかもしれないなって思う(笑)

大人になったと言われる変化は、揉めてもしょうがないから俺が我慢するってこと。対象の正しくないところを大きな声で間違っていると言っても揉めるだけで何にもならないのよね。対象が権力を持った人であればあるほど、何にもならないのよね。権力に味方する人はたくさんいるけど、正しい事に味方する人はなかなかいないし、正しい事は少数派なの。だからこそみんな権力が欲しいんだね。それもやっと今分かったことなのかも。

ただね。少なくとも佐藤は正しくない事に対して頭に来ているし、馬鹿にしてもいる。それを出さないようになっただけでね。俺はそうやって孤独になっていくんです。一人での戦いが続いて行くんです。

だからこそ、なんとなく心が平和でいられる今の環境は大事にしたいと思ってるよ。
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そうだなあーーーーー。平和だなあーーー。 [日々感じること]

ネガティブにならないようにだけ気を付けて生きています。ポジティブに生きるっていうのではなく、ネガティブにならないってことが大事なような気がする。

普通でいいのよ。普通で。ただ、下がらないようにだけっていうね。

佐藤仁志42歳。概ね平和です。そんなことを感じた9月17日。
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