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防衛費が増額されると言ったって。 [ニュース]

防衛費が激増しているが、日本の国防について少し。

21世紀目前の1999年3月24日6時7分、日本政府は北朝鮮に拉致された日本人を乗せた不審船の追跡を断念する。

その二日前。海上自衛隊のイージス艦「みょうこう」は「特定電波を発信した北朝鮮の不審船を発見せよ」との命令を受ける。北朝鮮の不審船とはようするに、日本人を拉致している北朝鮮の工作母船のこと。

艦長ののちの回想では、「武器使用の訓練は受けているが、乗り移って人質を奪還するなんていう訓練はしていない。不審船には自爆装置が装備されているはずで、最終的には全滅することは分かっていた」と。それでも「国民の生命と財産を守る」という理念のもと、全滅覚悟で待機していたが、出撃の直前に停止命令が出る。みょうこうの乗員は拉致された日本人が乗っている工作船が北朝鮮に猛スピードで戻っていくのをただ見ていることしかできなかった。

横田めぐみさんが拉致されたのは1977年。拉致被害者の「家族会」、そして全国の研究者で立ち上げられた「救う会」の発足が1998年。この事件が1999年。この20年以上もの間、拉致は続けられていて、自衛隊にはそれを阻止する手立てがなく、目の前で取り逃がしてという国防の在り方があった。この「能登半島沖不審船事案」をきっかけに、海上自衛隊内に特殊部隊「特別警備隊」の創設が決まり、同じころ経緯は違うが、陸上自衛隊にも特殊部隊「特殊作戦群」が出来る。

というような話を知らずに生きてきた。

現状どの程度機能している部隊になっているのか知るすべもないが、社会福祉士の試験勉強中は読むことを止めていた月刊「致知」の2021年7月号の元陸上自衛隊の新谷卓さんと元海上自衛隊の伊藤祐靖さんの対談を最近読んで、何も知らないというのは本当に罪だなと感じている。お二人の話の中で、優秀だけど人質救出部隊には向かない性格とか、地位や名誉を目的に生きている人間には命を投げ出してもという人質救出作戦には向かないとか、欲しいのはプレイヤーじゃなくて、ルールメイカーなんだという話は現場の話としてとても勉強になる。ただ、自衛官の目の前で日本人が誘拐されていったという事実は大きい。それまでの自衛隊には国は守れなかったということを、なぜ知らずに生きてきたのか。ニュースに興味がなかっただけなのか、報道されてなかったのか。2010年の中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた「尖閣諸島中国漁船衝突事件」では、中国人船長他乗組員を逮捕するも、処分保留で釈放というニュースは覚えている。

現状武力では守れそうにないこの日本国の国民は、どこに向かって進めば最善なのだろうか。ミサイルをたくさん買うことだとはとても思えない。それにしても、国民一人一人が向かって行くべき指針、国としての夢が一つも示されないまま何十年も来ているように感じているのは私だけなのか。オリンピックでもアベノミクスでもない。もっと40年50年先の夢を語りたい。夢のある国作りに参加したいし、是非させて欲しいと思って生きている。しかし現実は、「皆さんそうしておられます」という国民性の中で、国全体としての目的や目標がないからなのか、義よりも利に拠って生きることが正しいとされる今の個人主義や資本主義の世の中で、へんてこな事件が目に付く。詐欺、強盗、殺人、無理心中みたいなストーカー犯罪。スマホを見て視線を落としていれば、目の前で起きていることに気が付かなくて楽だとでも思っていそうな人たちを毎日電車の中、街の中でたくさん見かけるにつれ、どうしたものかと悩む日々である。宮台さんの「適切に絶望する」という言葉を噛みしめながら、無視することだけはしないようにと、必死に思考している毎日である。

「国の未来」というこのたった四文字の夢を大きな声で語りたいものである。


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安倍元総理銃撃事件報道を見て思うこと [ニュース]

まず、安倍氏が亡くなったことについて何の感情も湧いてこない自分がいるということを書いておきたい。各国首脳からの弔意、各党の政治家からのコメント、献花に訪れる国民の姿、安倍氏の生前の功績を称えるような報道に対しても、何の感情も湧いてこない自分がいる。

その理由をずっと考えている。

サトーはずっと桜の会、森友問題に対する彼のスタンスが分からなかったから、ずっと分かりやすい理屈が説明されるのを待っていた。その答えが一生聞けないのかと思うと、ある虚無感に襲われるだけで、そこに何かの感情が動いているということではなさそうだ。それがとても残念で。なんとも思わないということがとても悲しい。チェっていう感じが伝わりやすいのかもしれない。そんなところか。

そして、銃撃事件報道は警備体制の不備だのなんだの。ちょっと待てと。今回の選挙でも40か所。それまでの長期政権での何千回と繰り返されてきた遊説を経て出来上がった、ある意味、これが完成された警備体制でなければならず、それは誰のせいでもない、本人含めた警備チームが作り上げた、考え得る一番スリムで強い最上の警備体制であったはずだ。それを、生きているうちに口出しできるはずもない人たちが、防げた防げた言っている姿に。何だろう。哀れを感じる。だからこそ、安倍氏本人がが作り上げた最高の警備陣の中で、目の前の敵を止められずに死んでしまったということは、これは悔しいかもしれないが仕方なかったと本人も分かっているはずだ。という意味で、死に方に関して、あれは安倍さんにとっては本望だったに違いないと思うことにしている。素人の集団じゃあるまいし。油断しているわけもなく。まあ、認めるわけにもいかないわな。今後はどういう体制で行くとも言えないし。

そういう意味でも、どういうわけか、一連の報道に対して、馬鹿らしいなという気持ちが大きい。

そして突然、旧統一教会というか、新興宗教に脚光が当たっているが、宗教法人も、政党も、あるカリスマの元に集まって、お金を必要とし、不幸になる人も出るということを見ると、どうも根っこは同じなんじゃないかと思い始めている。今のところ、政権与党を信じている人に対してはどこか機能しているのかもしれない政治だが、ちゃんとやってくれと思っている人にとっては、政治は大して機能していない。そんなところも、宗教と同じだと思える。そんなことを考えていたら、世の中にたくさんいるインフルエンサーと呼ばれる人たちも、教祖と信者の関係と同じ。アイドルもそう。それぞれ呼び方が違う教祖がいたるところにいて、国にとってはまとまりを欠く結果になっている。その結果ということなのかもしれないが、ガーシーというどこかのカリスマがが参議院議員になってしまった。もう、無視できるような小さな集団じゃないということなんでしょうか。このカリスマ乱立時代の到来は、多様性の先端を走っているということなんでしょうか。民主主義国家の国民として、選挙の結果を受入れるところから始めなければいけないのでしょうか。無視して先に進んでもいいのでしょうか。

この国の向かっていく先が本当に分からなくなった。
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Netflix「新聞記者」は森友事件の解説書だ。 [ニュース]

Netflix「新聞記者」は森友事件の解説書だ。


このドラマとにかく「森友事件」である。赤木さんがなぜ死ぬほど追い詰められてしまったのか、細かいディテールは違ってはいても、自死に至る道筋はとても分かりやすく説明されていて、悲しくて泣いた。とにかく、総理夫人への忖度が発端で、総理自身が夫人への忖度なのかなんなのか、国会でアホみたいに吠えたことに、さらに忖度が進み、誰一人その違法性を訴えることをしなかった組織の中で、唯一心を痛めた赤木さんが自ら命を絶ったというのが事実だ。

ここに書いた組織とは、何を隠そう日本という国だ。大げさなことでも、他人事でもなんでもない、日本という国が違法なことを組織の下の人間に順番に指示していったということだ。ここのどこに、自由と民主主義があるというのか。恐ろしくファシズムではないか。さらに質が悪いことは、多くの人間を敢えて関わらせることで一蓮托生にし、誰も責任を取らず取らせず、関係者がことごとく出世していることを許していることだ。

なかったことにするにはあまりにも構図がはっきりしている。よくもまあ、何事もないように、日本人をやっていられるものだ。選挙のことを笑ってなど話せない。この国は、誰がどんな国にしてしまったのか、どんな国であるのか分からないまま、選挙のはなしなど出来ないはずだ。この夏は参院選があるなんて、軽く言っている場合ではない。去年の衆院選では、国民はこんなファシズムな政党を選んだということにもショックだった。ただ、民主主義だから仕方がない。多数決で決まってしまった。ただ、本当に仕方がないのか?俺から見たら、国民の大半がこの日本の現状をまるで分っていないまま投票しているように思えてならない。この事件を見たら、こんなにも恐ろしい政党を選ぶ訳がないと思うのだがどうだろう?知っていて、それでも選んでいるのか?

ここに嘘が書いてあるかね?

順番に分析していけば、どんなことが起こっているのか、これ以外の筋書きがあるわけないことは分かるはずだ。これは本当の話なのだ。まさかドラマになってしまった。小説や映画で取り上げられていたとは露知らず、知らなかったことを恥じたい。それにしても、世界発信のドラマになっているんだな。まさか日本のニュースが題材の、こんなテーマのドラマが作られるとは。Netflix恐るべし。ドラマの結末は語らないが、実際には権力者はのほほんと生き延びているんだなこの国では。とんでもない国だな。

長い歴史の中で、こんなにも権力を自分のことに使っているにも関わらず、国民に咎められることなく悠々と生きられた時代があったか?主権者の一人として俺は、こんな日本では納得できない。もう一度、戦国時代に戻ってもいいから、天下泰平の世の中を目指したい。四季を国民全員で喜び合えるような国にしたい。

「忖度」という言葉が大きく取り上げられた事件「森友事件」。この事件を題材にしたドラマ「新聞記者」。権力に対して媚びをうることが「忖度」で、「忖度」は下の者が損をするという意味かと理解できた。このドラマの意味は「森友事件」の構図をもう一回分かりやすく浮かび上がらせてくれたことだと思う。それだけじゃないテーマもあるのだろうが、死んでしまった赤木さんがリアルにいるだけに、それ以外のテーマは一切入って来なかった。「新聞記者」というタイトルに答えが出ないのは、演技の問題なのだと思う。圧倒的なリアルな題材に勝てなかったということなのかもしれない。

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ソウルフルワールドを見て感じた環境問題と世界平和 [ニュース]

「ソウルフルワールド」のネタバレがあるから気を付けて欲しいと思います。

アメリカ人がジブリの作品に触発されて作ったのかもしれん!とか感じながらくぎ付けで見てしまったよ。そのあと、しばらく心がざわついて眠れず、何に心が落ち着かないのかをゆっくり考えていたら、突拍子もなく宗教なのか哲学なのかというところに着地しました。

ポイントは映画の中に出てきた「きらめき」の正体。

世界の偉人として何度も人間として生きた22番という魂が、今回人間になって、空や風、目に見えるもの感じるものすべてにときめいて、感動して、そこに「きらめき」を感じている姿が本当に煌めいていてとても心に残った。それが答えだ。シンプルにそれだけでいい。自分のやりたいことを見つけられずに、ずっと魂のままでいた22番に、きらめきを与えたのは「自然の美しさ」なのかと思ったらすべてが片付いてしまったよ。

佐藤の家では、母親は季節ごとに花を植え替え、嫁は部屋に観葉植物を育て、犬は決まった時間に起こしに来ていつも同じように過ごし、嫁の実家からは家で採れた野菜が季節ごとに届き、春はタケノコご飯、秋には栗ご飯、毎朝空を見て天気のチェックをし、雲や月を見るのが普通の生活としてあります。「ソウルフルワールド」を見てふと気付く。自然だけはちゃんと人間の営みのそばで、コール&レスポンスを続けてくれている。なんの文句も言わずに、人間が自然に対して投げかけたものに対して、ちょうど投げられた分だけ変化しながら、毎日毎日人類にエネルギーを与えてくれている。

そんな自然に対して、人は何を返してあげられるのか。

これは環境問題の話ではない。自然という環境は何も思っていない。自然はすべてを受け入れてくれている。環境問題は、人間同士が争っている作用が反作用しているだけだ。それは誰のせいかと言えば誰のせいでもない。人間全体の責任で、環境問題は、本当は人類の平和問題と直結しているだけだという結論に達した。環境活動家で有名なグレタさんの活動は立派だと思う。ただ、いつも怒っている。いつも戦っている。あの怖い顔は、あの顔は戦っている顔だ。だとしたら、戦っている限り、環境問題は解決しない。対立は自然への影響がてきめんだ。

人類が地球上に誕生してからいままで、戦争がなくなったことはない。何故戦争はなくならないのか。何故人間は、領土を、人種を、民族を分けたがるのか。金儲けもそう。何もかも全部対立の中に人類は生きている。いじめもそう。承認欲求もそう。誰かより優位に立ちたいのが人間の性であるのは間違いないようだ。そりゃ争いはなくならないよ。より熟成された対立の構造が年々生まれていっているだけなんだろうと思う。21世紀ともなれば、より高度な戦いが世界中で熟成されるということなのだろう。戦いがあるから平和への欲求もある。これも作用反作用。「争わない方がいい」というところにすべての答えがあることなんかとっくの昔に分かっていたはずなのに、違う答えを見つけることで、誰かの優位に立ちたいということなのだろう。環境問題も、各国がCO2の削減目標を掲げて頑張っているが、そんなことが本当に自然の望んでいることだとはとても思えない。無理やり脱炭素化しても、きっとその反作用がどこかで起こっているはずだ。さて、どうしたらいいのか。

人間は争う生き物だ。

という前提を辞める努力をしてみたらどうだろう。

週一回は争いをやめて、世界に感謝する日を作ればいいんだ。

なんて書いていたら、キリスト教じゃねーか!って俺が突っ込んでいるよ。ほら、とっくの昔に答えは出てたじゃねーか!そういう意味では、世界の宗教は正しい。争わない。そこに答えはある。でも争いはなくならない。選挙だってあれ、民主主義って言いながら、圧倒的に勝ち負けの世界だもんね。

選挙という争いを一度辞めてみたらいい。

あ!

民主的な選挙が存在しない共産党の国が正しいのか?

軍拡している中国を見ていると、争いをなくそうとしているとは思えない。

じゃあ軍備を放棄すればいい。

!!

世界中を見ても、軍隊を持たない国というのは珍しい個性なんだよ。武力を放棄している日本はそもそも戦うすべがないのよ。やられたらやられちゃうのよ。だから、いっそ、自衛隊やアメリカに守ってもらうこともやめて、攻められたら抵抗することもやめて、世界平和が一番の環境問題の解決策だっていう活動をしてみるっていうのはどうだろう?

人間が争うのは仕方ない。人間はそんなに上等じゃない。ただ、国同士の戦争はそろそろやめにして、地球の自然環境を守っていくということで協力してみてはどうだろう。この雑観は、そんなところに、日本の向かう先はあるかもなってところで一回お開きということにします。ふー。
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コロナが終息してもいないこの時に厚労省で送別会が決行された件が怖い [ニュース]

そこまで「我慢」出来ないことなのか?

誰が何を決めているのか知らないから、厚労省全体の話にしても意味のないことなのかもしれないけど、コロナになって厚労省が国民に強いたことの一つに、

コロナで亡くなる時は家族でも会えない。

というルールがあるようだが、家族の我慢の程はいかばかりのものであったろう。これほどの「我慢」を国民に強いているのにも関わらず、送別会ごとき我慢できないって人間のレベルは相当に低い。野球というチームプレーの中で生きてきた佐藤としては、この程度のコンセンサスも取れない組織ってちょっと信じられない。そんな組織が存在していること自体が信じられない気持ちだ。

何を要求したところで何も変わらないのだろうか?まあ、変わらないのだろうよ。何がダメなのかが分からないのだろうよ。ちょっとくらいいいじゃんってことなのか?待て待て待て。頭がおかしくなりそうだ。国民の痛みを、自分のこととして考えられない人種で組織されている団体が、国の中枢にあるのかと思うと、革命でも起こさなきゃやってられないな。

ちょっと本気で考える時が来てるぞ。こりゃひどい。とてもこの21世紀の、オリンピックをやろうとしているこの日本で、長い歴史を持つこの日本で起きていることと思えん。悲しみを通り越して、もう恐怖だ!!
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「オリンピッグ」というダジャレが1年後に問題になる怖さ [ニュース]

俺は何に怖さを感じたのかが、ぼんやりと見えてきたのでメモしておきます。その前に少し。

ユン・チアン著「ワイルドスワン」という中国という国を知るのに絶好のノンフィクションがあるのだが、知っているだろうか?佐藤は大学の2年時に先生から勧められたっきり本棚に20年近く飾ってあったものを、昭和史の勉強を進めていく過程で、いよいよ行くか!という覚悟を持って読んだという過去があります。とにかく読んでよかった。もっと早く読んでおけばよかった。中国という国の本当の部分が描かれていて、中国という国を理解するにはとてもいい教材です。先生が最初の授業で勧めたのも頷ける。ただ、30代半ばだったと思いますが、あまりにも日本という国と違いすぎて、たぶん理解できたことは表面的なことだけなんだろうと思います。そのくらい、中国の為政者が国民に求めることが、日本と中国とでは違うのです。上手に書けませんが、国家の言っていることに少しでも反することがあると、ご近所さんから通報される感じです。共産党員が見張っているようなことです。戦時中の日本で言われていた「非国民!」という世界観です。安保の時の自己批判です。この空気の社会って想像は出来ても具体的にどんな感じなのかって分からないじゃないですか。どうやって生き抜いているんだろ?って本当に分からない。ただ、分からないことを悩む必要はないと思います。あんな時代はもう来ないし、怖い時代だったな、今は平和な世の中だな、ってなことで済んでいいのだと思います。

そう思っていました。今日まではそう思っていたよ。

でもね、最近の文春報道に代表される何でもかんでもの報道なのかニュースなのかは、変な監視社会じみて見えてきているよ。俺はそれが怖い。正義を振りかざしているのか何なのか、仲間内のグループLINEのダジャレが、1年後に「けしからん!」とニュースになり、組織のトップがオリンピック開催直前にまたも変わるという異常事態は、どう考えればいいのだろう?大勢で寄ってたかって攻撃するようなことなのか?自浄作用がどこにも効いていない。そんな組織ばかりに見えるぞ。

もしかして、自由とか平等とか非差別とかっていうものの裏にこっそり隠れている共産化なのか?と突然「ワイルドスワン」で読んだ世界が脳内に現れてきたのよ。誰も意識しないその裏で、共産化と同じ動きがスタートしてしまっているのか?官僚の忖度もそういえば共産化の表れか?昨日良しとされたものが、今日は悪いものとして扱われ始めている。SNSの功罪の罪の方なのか?もしや功の方?そんなことを思うと怖くなって来てね。

この国がどっちを向こうとしているか皆目見当もつかないが、平和な社会がやってきそうな感じには2021年の現時点では、到底思えんな。平和憲法のいう平和とは何を指すのか。それさえも多様化しているのかね?誰かを突き飛ばして平和を手に入れるという平和観。平和の祭典の裏で演出統括を下ろして後任がのし上がるっていう流れもあるのか?これも中国っぽいよねというコメントも差別になるのか?恐ろしい…

佐藤区は何とかど真ん中に踏みとどまって、どっちにも偏らないようにしていきたい。

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世の中は原発容認なのか?受け入れるべきなのかどうか。 [ニュース]

産経新聞のコラムにどこか怖い空気を感じている。

佐藤家では子どもの頃から産経新聞を購読しているのだが、3月13日(土)朝刊の「産経抄」に今までに感じたことのない主張を見た。

原発に反対する元首相たちに対して、「自身がかつて組織のトップの座にありながら手を付けないか、できもしなかったことを後任に無理強いする。控えめに述べて無責任極まる光景が、3人の元首相によって展開された。」「現職時代、いかに自分たちに問題意識も定見もなかったかを告白しているかのようでいたいたしい」と。そして「『原発は必要だ』と言っていたことは間違いだった。過ちては改むるに憚ること勿れ」と小泉元首相が論語を引用したことを残念だとも。

佐藤区ではこの論語の「過ちては改むるに憚ること勿れ」こそが今の権力者へのメッセージであると前々から思っていただけに、この産経抄を読んで混乱してしまった。間違いをごまかそうとしたから、原発の安全神話が神話であったということを、産経新聞は認めていないようだ。森友加計問題もそう、あれもこれもそう。間違いを素直に認めてごめんなさいが言えないからこそ、問題は無駄に大きくなっていっていることを無視しているこの状況は、またしても戦時中の新聞と変わらねーなと。政治とマスコミがどうして戦前の様子に戻っていっているのか、とにかく謎だ。国民に何を求めているのか。狙いが分からない。

翌14日の紙面には、アンケートの数字として、原発を容認する人は60%を超えていると書かれていて、いよいよ本格的に佐藤区はマイノリティなのかとこれまたショックで、にわかにはこの数字が信じられないでいる。佐藤仁志は原発に反対です。震災列島には不向きだと思っています。完全には制御出来ない、最終的にゴミまで含めた運用方法が50年近く経っても確立できない、そんなものを信用できるはずがない。

とりあえず、産経新聞は原発を容認しているようだ。そのことはこの二日で突然よく分かった。

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民主主義と自由主義を間違えると乱暴な人の集まりにしかならんぞ! [ニュース]

言いたいことは言ってもいいけどさ、民主主義っていう多数決は根底に「受け入れる心」がないと争いしか生まないと思うのだが、そういうことに気が付くのに佐藤区長40年近く掛かりました。

子どもの頃、佐藤区長はクラスの中でも明るくて元気で、お友達も多い方だったんだと思うが、要するに意見を求められる方の人間だと思って生きていたと分析します。文化祭や運動会でも「こうやろうよ!」って皆の意見をまとめる側というか、先導する側というかね。まあ、マジョリティの側の人間だと思って疑ってなかったよ。乱暴に書くと、少数意見は聞いたとしても、大して気にもせず、多数決をさっさと取って蹴散らしていくという感じかね。そんな気はさらさらなかったろうけれども、分析してみるとそんな感じ。

さて、大人になって今思うのは、俺ってマイノリティじゃね?ってこと。

今のマジョリティはネットの力を使って声を集めることが出来るようになった、俺が少数意見だと思っていた側の人たちなのかもしれないと感じている。俺が大雑把に発信していたものなんかよりも、繊細な感じを醸し出す意見に多くの人は賛同しているように見えている。時代は大多数という分け方が出来ないくらい、色んな意見で溢れているみたいだ。アメリカの選挙でそう感じたけれども、多数決がものすごく拮抗していて、民主主義が機能していないように思える。選挙の結果を認めることが出来ないから、勝ち負けという対立ばかりが取り残されている。それが現在の民主主義なのではないだろうか。

これまで声を挙げ辛かった人たちの声が聞こえてくるのはいいことだと思うし、多様性を尊重することは現代社会において必要な思考なんだと思う。でもさあ、俺は思うよ。差別の問題とか、ハラスメントの問題とか、「ソーシャルインクルージョンだ!」って多様性を謳っているように見えて、実は少数意見を排除しようとしていることとつながっているんじゃないかって。オリンピックの森さんの問題を例に見ても、かつてのマジョリティである古い思考回路を持つお年寄りを徹底的に排除するということは、差別にならんのかね?俺は子供に、男なら「女の子を守れるくらい強くなれよ」って言うし、女の子なら「男の子には優しくろよ」って話したいと思っているけどね。

民主主義、自由主義、多様性って言葉は聞こえはいいけれども、そこには仲間外れとか、対立とか、争いとか、そういうことと表裏一体の怖さがあるということに気が付いたよ。

そんで思うわけよ。ほとんどの自由は許されている国なんだから、せめて反対意見の人にも同じ意見の仲間がいるはずだよなっていうくらいの、「受け入れる心」を忘れないように生きて行こうよとね。トヨタの社長がスポンサーとしてコメント出していたけれども、あれも排除の思考だわ。そうではなく、今の日本の現状を認めた上で、「この国の悪しき慣習なのかもしれませんね」って、年寄りの高圧的な組織運営の在り方をいよいよ見直す時が来ましたなと、遅過ぎたかもしれないけれども、これからの日本を見ていてくださいみたいなことを発信出来たらよかったのかもなって思う。森さんみたいな人いっぱいいるよ。そんな人を選んだ人がいて、その人に頼り切っている組織のメンバーがいて、その人たちを選んだ人もいて。結局みんなの責任だと思うけど。それが民主主義だぞ。

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思い切って佐藤区のオリンピックへの思いを書いてみた [ニュース]

ぺこぱじゃないけど、コロナ前に時を戻すと、あの時何を思っていたか。

・新しくなった国立競技場で世界のアスリートの姿を見てみたい。
・スポーツバーで外国の人と話をしてみたい。
・どんなグッズを買えば記念になるのか楽しみ。
・予選を勝ち抜いてきた代表選手を応援して、一緒に君が代が歌いたい。
・新作グッズを作って外国人相手に物販部門でひと稼ぎしたい。
・毎日ビールでも飲みながらNHKの今日の総集編を見て泣きたい。

素敵な未来を夢見ていたあの時の佐藤の思いは、いよいよ日本も旅行業を筆頭に日本の経済やエンタメ業界が湧きかえり、個人消費も増え、オリンピック後の新しい21世紀の生活がスタートするんだなということだったし、自分のことで言えば、子どもを作って、子どもには五輪にちなんだ名前でも考えてみたり、何か新しいことが始まる予感しかしていなかった。

さて、今オリンピックに関わっている人たちはどういった思いで開催を待っているのか。

まず選手が不憫だ。自分がいつコロナになるのかも分からない中、地球上にどこにも逃げ場もなく、立ち向かうことが商売のアスリートだからこそ逃げたくもないだろうし、とにかく各自目標をもって日々のトレーニングに集中するしかないということの辛さよ。たくさんの人たちに見てもらって夢と希望を与えたいと思いながら、スタジアムには来ないでくださいというアナウンスしかできない。スタジアムに来たら来たで隣の人とは話さないでくださいという変な状態で見ているお客さんと、距離を感じながらの競技になるのか。本番前のトレーニングも感染対策とか言われていつもと勝手が違う状態で、スタッフに一人でも感染者が出たら2週間隔離でと。テニスの錦織の場合は移動の飛行機の乗に客感染者が出て大会前のホテル隔離ということで、大会前の調整も出来ずに本番に臨んでいった。

言い訳するな!みんな同じ条件だ!って言われればそれまでだけれども、いまいち盛り上がれない。控えめに頑張ってと声をかけてあげることしか出来ん。

オリンピックに賭けて投資しちゃった中小企業、新規事業立ち上げなんかもたくさんあっただろうに。失業者もたくさんいるけれども、借金しか残らずに、顧客も開拓できずに時間ばかりが過ぎている経営者たくさんいるでしょうよ。すべてが不憫。

俺は今年の最初に森さんが「俺が今辞めるって言えるわけないだろう」ということを言っているのを聞いて、1億総玉砕と言った日本軍部の生き残りかと思ったよ。

またチャレンジすればいいんじゃないかな。いつかまた東京オリンピックやればいいんじゃなかな。東京オリンピックの出場が決まった人たちよりも、生活に困った人の方が多いのよ。ここは、誰のせいでもないんだから、選手にちゃんと謝って、オリンピックに国の金を使っている場合じゃなくなってしまったと、一日でもはやく決断した方がいいんじゃないかね。1億総玉砕か。逆よ。誰も殺さないということを基準に何かを始めて欲しい。今、テレビに出てくる決裁権を持っている人たちは、安倍さんもそうだったけど、1億人殺しても、自分だけは逃げ切るぞっていう人たちに、俺には見えている。半藤一利さんの昭和史で学ばせてもらったけど、20世紀の戦争のあのころと21世紀の今、政治の世界にいる人たちはそれほど変わってないのね。おかしな話だ。

戦争で唯一の被爆国というだけでなく、2回もオリンピックが出来なかった国っていうのも、日本のアイデンティティということでどうだろう。佐藤区としては、オリンピックの件は早く終わればいいのにって思ってる。この問題がコロナの収束を邪魔しているようにも見える。いまいち集中出来ん。あ!パラの代表選手が亡くなったって記事も出てたね。コロナではないという記事だったけど。ふむ。どうしたもんだろう。

大体書けたかな。一日一日を大切に生きて行こうと思っているけれども、早く秋が来ないかなって思う。なんとか無事にオリンピック期間過ぎて欲しいなって。
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多様性の尊重と差別発言をする人を受け入れることとの間にあるやるせなさ [ニュース]

今年はブログも更新して行こうと思って。昔みたいに書いてみよう。

「多様性の尊重と差別発言をする人を受け入れることとの間にあるやるせなさ」

自分を世の中の流れに合わせることが出来ないお年寄りはたくさんいると思う。俺だって、LGBTのことをどう自分の中に位置付けたらいいのか迷いながら生きているという点で、まだまだ時代に合わせることが出来ていないと感じることが多い。ましてや、大変な思いをして生き抜いて来た70歳80歳の先輩が、時代に合わせて思考回路を変更していくなんてことを強いることなんか出来ないと思う。

だからこそ、変われない人は国を代表するようなところにはもういられないよね。今のやり方知らないんだから。このままだと、一蓮托生で日本人が恥をかくということになる。もしくは、余りにも違う人種過ぎて、人のことを気にするのを辞めることを選択するようになる。森さんも、二階さんももういんじゃないかね?昔の面影ないし、よぼよぼじゃん。引退のチャンスだわ。引導渡してやるっていう愛もあるんじゃないかね?

もしかしたらコロナになってよかったことの一つになるのかもしれない。大事なことと向き合えるチャンスなのかもしれない。

なんだかオリンピックがちっとも盛り上がって来ない。こんな日本人全員が盛り上がれるようなイベントが、全員で盛り上がれないような現状は、誰がどうやって挽回してくれるんだろう?聖火ランナーとかボランティアの辞退とか、招致に尽力した人たちの姿も全く見えてこないし…

オリンピックがどんどん他人事みたいになってるよ。とても心配だ。
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