SSブログ

コロナが終息してもいないこの時に厚労省で送別会が決行された件が怖い [ニュース]

そこまで「我慢」出来ないことなのか?

誰が何を決めているのか知らないから、厚労省全体の話にしても意味のないことなのかもしれないけど、コロナになって厚労省が国民に強いたことの一つに、

コロナで亡くなる時は家族でも会えない。

というルールがあるようだが、家族の我慢の程はいかばかりのものであったろう。これほどの「我慢」を国民に強いているのにも関わらず、送別会ごとき我慢できないって人間のレベルは相当に低い。野球というチームプレーの中で生きてきた佐藤としては、この程度のコンセンサスも取れない組織ってちょっと信じられない。そんな組織が存在していること自体が信じられない気持ちだ。

何を要求したところで何も変わらないのだろうか?まあ、変わらないのだろうよ。何がダメなのかが分からないのだろうよ。ちょっとくらいいいじゃんってことなのか?待て待て待て。頭がおかしくなりそうだ。国民の痛みを、自分のこととして考えられない人種で組織されている団体が、国の中枢にあるのかと思うと、革命でも起こさなきゃやってられないな。

ちょっと本気で考える時が来てるぞ。こりゃひどい。とてもこの21世紀の、オリンピックをやろうとしているこの日本で、長い歴史を持つこの日本で起きていることと思えん。悲しみを通り越して、もう恐怖だ!!
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「オリンピッグ」というダジャレが1年後に問題になる怖さ [ニュース]

俺は何に怖さを感じたのかが、ぼんやりと見えてきたのでメモしておきます。その前に少し。

ユン・チアン著「ワイルドスワン」という中国という国を知るのに絶好のノンフィクションがあるのだが、知っているだろうか?佐藤は大学の2年時に先生から勧められたっきり本棚に20年近く飾ってあったものを、昭和史の勉強を進めていく過程で、いよいよ行くか!という覚悟を持って読んだという過去があります。とにかく読んでよかった。もっと早く読んでおけばよかった。中国という国の本当の部分が描かれていて、中国という国を理解するにはとてもいい教材です。先生が最初の授業で勧めたのも頷ける。ただ、30代半ばだったと思いますが、あまりにも日本という国と違いすぎて、たぶん理解できたことは表面的なことだけなんだろうと思います。そのくらい、中国の為政者が国民に求めることが、日本と中国とでは違うのです。上手に書けませんが、国家の言っていることに少しでも反することがあると、ご近所さんから通報される感じです。共産党員が見張っているようなことです。戦時中の日本で言われていた「非国民!」という世界観です。安保の時の自己批判です。この空気の社会って想像は出来ても具体的にどんな感じなのかって分からないじゃないですか。どうやって生き抜いているんだろ?って本当に分からない。ただ、分からないことを悩む必要はないと思います。あんな時代はもう来ないし、怖い時代だったな、今は平和な世の中だな、ってなことで済んでいいのだと思います。

そう思っていました。今日まではそう思っていたよ。

でもね、最近の文春報道に代表される何でもかんでもの報道なのかニュースなのかは、変な監視社会じみて見えてきているよ。俺はそれが怖い。正義を振りかざしているのか何なのか、仲間内のグループLINEのダジャレが、1年後に「けしからん!」とニュースになり、組織のトップがオリンピック開催直前にまたも変わるという異常事態は、どう考えればいいのだろう?大勢で寄ってたかって攻撃するようなことなのか?自浄作用がどこにも効いていない。そんな組織ばかりに見えるぞ。

もしかして、自由とか平等とか非差別とかっていうものの裏にこっそり隠れている共産化なのか?と突然「ワイルドスワン」で読んだ世界が脳内に現れてきたのよ。誰も意識しないその裏で、共産化と同じ動きがスタートしてしまっているのか?官僚の忖度もそういえば共産化の表れか?昨日良しとされたものが、今日は悪いものとして扱われ始めている。SNSの功罪の罪の方なのか?もしや功の方?そんなことを思うと怖くなって来てね。

この国がどっちを向こうとしているか皆目見当もつかないが、平和な社会がやってきそうな感じには2021年の現時点では、到底思えんな。平和憲法のいう平和とは何を指すのか。それさえも多様化しているのかね?誰かを突き飛ばして平和を手に入れるという平和観。平和の祭典の裏で演出統括を下ろして後任がのし上がるっていう流れもあるのか?これも中国っぽいよねというコメントも差別になるのか?恐ろしい…

佐藤区は何とかど真ん中に踏みとどまって、どっちにも偏らないようにしていきたい。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

世の中は原発容認なのか?受け入れるべきなのかどうか。 [ニュース]

産経新聞のコラムにどこか怖い空気を感じている。

佐藤家では子どもの頃から産経新聞を購読しているのだが、3月13日(土)朝刊の「産経抄」に今までに感じたことのない主張を見た。

原発に反対する元首相たちに対して、「自身がかつて組織のトップの座にありながら手を付けないか、できもしなかったことを後任に無理強いする。控えめに述べて無責任極まる光景が、3人の元首相によって展開された。」「現職時代、いかに自分たちに問題意識も定見もなかったかを告白しているかのようでいたいたしい」と。そして「『原発は必要だ』と言っていたことは間違いだった。過ちては改むるに憚ること勿れ」と小泉元首相が論語を引用したことを残念だとも。

佐藤区ではこの論語の「過ちては改むるに憚ること勿れ」こそが今の権力者へのメッセージであると前々から思っていただけに、この産経抄を読んで混乱してしまった。間違いをごまかそうとしたから、原発の安全神話が神話であったということを、産経新聞は認めていないようだ。森友加計問題もそう、あれもこれもそう。間違いを素直に認めてごめんなさいが言えないからこそ、問題は無駄に大きくなっていっていることを無視しているこの状況は、またしても戦時中の新聞と変わらねーなと。政治とマスコミがどうして戦前の様子に戻っていっているのか、とにかく謎だ。国民に何を求めているのか。狙いが分からない。

翌14日の紙面には、アンケートの数字として、原発を容認する人は60%を超えていると書かれていて、いよいよ本格的に佐藤区はマイノリティなのかとこれまたショックで、にわかにはこの数字が信じられないでいる。佐藤仁志は原発に反対です。震災列島には不向きだと思っています。完全には制御出来ない、最終的にゴミまで含めた運用方法が50年近く経っても確立できない、そんなものを信用できるはずがない。

とりあえず、産経新聞は原発を容認しているようだ。そのことはこの二日で突然よく分かった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

東日本大震災から10年。 [日々感じること]

震災列島日本。

いつ何が起こって人が死ぬのか分からないという、自然とともに生きてきた日本人。阪神淡路の時は23歳で、正直震災のすさまじさを感じるには距離があったし、大学を卒業するタイミングとか就職するタイミングで自分のことで精一杯なところがあって、自分の中に残っているものが殆どないんだけど、東日本大震災の時の衝撃は、人生観や死生観も変えるほどのものでした。自然には太刀打ちできない人間です。震災後、八戸の海に行きまして、海を見ながら、この海には何千、何万もの人たちが流されているんだなということを感じ、生きているということを感謝しながら生きると心に誓いました。

日本人はきっと、昔から「いつなんどき」っていう生き方をしていたのだろうと思いを巡らせています。それは自分勝手になれないし、お互い協力しながらじゃないと生きられないしということだと思います。死んで行った人たちの分も、精一杯生きていかなきゃいけないと思いますが、今の日本人がそんな風に思うには、日本人が日本人の中に持っていた大切なものを捨て去り過ぎてしまったように感じます。

テレビに映るドイツのメルケル首相の姿を見ながらこんなことを思った。

自分のなすべきことをなすために生きる。

それは、国民の幸せであり、選挙の時に約束したことであり、自分のことではなく党のためでもなく、自分の持てる権力、能力のすべてを使って成し遂げたい、なすべきことなのだろうと感じて、こういう姿はカッコいいなと思ってね。実際のメルケルさんのことは知らないけれど、そういう人がリーダーであれば、一つずつ何かが解決して行くように感じた。そんなことを思ってみると、環境活動家のグレタトゥーンベリさんとかさ、何かを訴える人は、自分に与えられた権利なんかよりも責任感によって、なすべきことに生活のほとんどの時間が使われているのだろうと想像できる。

パーティーとかさ
夏休みとかさ
不倫とかさ
お金とかさ

そういうことに興味があるうちは大事な責任のある仕事なんかできなさそうだよね。国に関わる大事な責任のある職業に就いている人は特にね。今パッと思いつく問題って何だ?

震災復興
拉致問題
たくさんのことを抱え込んでいる原発問題
少子高齢社会問題
コロナ問題
オリンピック問題
ジェンダー問題
国防問題
沖縄基地問題
森友加計問題
忖度問題
コロナ失業問題

このくらい思いついたけども、このうちの一つだって解決しようと思ったら、大変な力が必要よね。文字通り命懸けでやって初めてスタートが切れるくらいのことだと思うけど。

俺ずっと疑問に思っていることがあってね。拉致担当大臣の仕事ってどういうことなのか俺知りたいんだよね。大臣としてなすべきことはなんなの?ってずっと思ってたけど、何か実になることやってるの?実ってさあ、サラリーマン始めてすぐに、予実って言葉を覚えたけれども、予定があっての実だわ。せめて予を示して欲しいしさあ。全面解決です!っていうのは、なしでよ。

歴代拉致担当大臣を挙げておきますね。

塩崎恭久2006
与謝野馨2007
町村信孝2007
中山恭子2008
河村建夫2008
中井洽2009、2010
柳田稔2010
仙谷由人2010
中野寛成2011
山岡賢次2011
松原仁2012
田中慶秋2012
小平忠正2012
藤村修2012
古屋圭司2012
山谷えり子2014
加藤勝信2015、2016
加藤勝信2017
菅義偉2018、2019
加藤勝信2020

こんなにいたのね。佐藤区にとって謎の大臣です。日本人が日本人を救出するために任命した大臣です。是非とも頑張っていただきたい。

日本人なら誰でも一度はやったことある「合掌」という宗教観。ありがとうございますという思い。手を合わせれば、世界のどんな宗教の人も優しく迎えてくれると言われている、この仏教の教えを知っている日本人。農耕民族としてこころ穏やかな日本人のアイデンティティとして、せめてこれくらいは変わらずに受け継がれていくことを願う。

震災から10年経って、何か書こうと思っていたら、こんなことになりました。合掌。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

権力と責任とお金と嘘と逃亡 [日々感じること]

白洲次郎の本にも出てきた「noblesse oblige」の意味のことを最近よく考える。「財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴う」という理解だが、ここで言う義務とはいかに?

佐藤区では自分のことばかりを考えるなということだと思っています。

そんな佐藤区の区長である佐藤仁志さんは50歳を目前の派遣社員です。家借りるなんてことは今の私には出来ませんので、嫁さんには実家に母さんと一緒に住んでもらっています。脱サラして「俳優やるぞ!!」って言って頑張っていましたが、なかなか稼げるようにならなくて、ボーナスも20年以上もらってないし、とは言え、派遣でも雇ってもらっていることに感謝しながら、今は嫁の俳優修業を応援しつつ、家族を守るために頑張って生きています。区長とは言え、佐藤の守れるものと言えば今のところ家族だけですね。今の権力では、それが精一杯。住むところがあって、愛する家族がいてくれるということに十分幸せを感じています。ご先祖様に感謝です。

さて、ニュースやワイドショーに出てくる権力のある人たちを見てみよう。総理や副総理とかさ、権力を持った偉い人たちは、お金にも不自由していないだろうに、どうだろう?ちょっと言わしてもらうけど、自分の地位や立場を守ることだけに必死過ぎやしねーかな。佐藤区長が家族を守るのに必死なのと、権力のある人たちが身内や自分自身を守るのに必死なのと、同じな訳がない。もっともっと大きな何かを守ってこその権力なのだと思うのだがどうですか?

コロナだって、オリンピックだって、自分のことを棚上げにして取り組まなきゃ成功なんかするはずがない。お金の使い方だってそう。どこにお金を使うのか?国民の命や生活にお金を使うよりも、会長のプライドだとか、IOCやスポンサーへの責任だとか、総理や知事の駆け引きにお金よりも大事な時間を使うとか、なんだろう?誰かに責任があるように振舞って、自分自身が果たすべき責任はないという振りをしているように感じるぞ。原発の安全神話も嘘だらけの、責任放棄。地震列島に核廃棄物を安全に置いておける場所などなかったということは口が裂けても言えないのだろう。子孫に負担をかけるわけにはいかんと言いながら、既にどれだけ負担がかかっているのか誰もちゃんと計算しない。

負担と言えば、核廃棄物が天然ウラン並みの放射線レベルになるのに10万年かかるって知ってた?こりゃびっくりしたよ。まあ、そのくらい掛かりそうだわ。

そういうことを一つひとつ終息させていけるのは権力のある人だけに与えられている特権なのだが、その特権を誰も使おうとしない。偉い学者は分析しても影響力はないというのは、コロナの件でよく分かった。ルール違反の接待を受けて、それを咎められたら、病気を理由に辞職できる。同じ辞めるならごめんなさいと言って辞めればいいのに、ごまかそうとするから恥ずかしいことになるんだわ。

逃げるなよ。戦えよ。一つ一つ解決して行こうぜ!佐藤区は全力で応援するよ。区長、時代をときめく派遣社員ではあるんだけどさ。ま、そういうことだわ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コロナとオリンピックとコロナとパラリンピックと。 [日々感じること]

コロナ禍ってなんだったんだろう?

過去形にしてみた。オリンピックにワクチン接種は関係ないという発表があったので、政治家はコロナとオリンピックを別次元に考えているということが分かる。

そう思うと合点が行く。オリンピックに向けて実施されたコロナ対策はなかった。選手村を感染病棟に使うという案も立ち消えている。コロナよりも大事なことがあったからなのだろう。「コロナとオリンピックは別です」って誰かがどこかで言っているような想像が働く。

そもそもオリンピックってなんだ?

景気付けにやるんだということは理解できる。大会を開催する都市、国は経済的に盛り上がるし、国全体の空気がワクワクで包まれていって、未来に向かうエネルギーになるのはとてもいい。アスリートにとって人生をかける意味のある大会であることも理解できる。漫才師にとってのM-1と同じだろう。全く同じだろうと思える。

世界中が注目しているからこそどうしても成功させたいっていう思いで全精力をつぎ込んで運営しているということも理解できる。

でコロナだわ。

本当に国民はオリンピックで湧こうとしているのか?
世界中は日本でのオリンピックを楽しみにしているのか?
そもそも圧倒的な成功を収めるための画期的な施策をぶち上げているのか?

うーーん。スポンサーへの忖度でしかねーな。全精力をつぎ込んで忖度してるんだな。やらなきゃ命取られるくらい追いつめられそうだから辞めるって言えないだけだな。そもそもやる?やらない?よりも、やれる?やれない?っていう議論が必要なはずだねえ。俺チケットもTシャツも記念コインも買ったから、ちっぽけだけどスポンサーでもあるんだけどさ、辞めるってなっても怒らないけどなあ。

本当に、日本で本当の意味でのオリンピックはやれるのかね?
世界中は気の毒に思ってると思うんだよ。うちじゃなくてよかったって思っていると思うんだよね。もし辞めたらいくら請求されるんだろ?とかさ。IOCもJOCも誰も日本のことを考えて議論してないんじゃない?やれないって言うな!ってさ。男とか女のことなんかよりも、こんなナンセンスな前提での話をしている方がよっぽど変だよ。

俺に見えているオリンピック推進派の戦略は「やるって言ったらやる!以上!」っていう作戦にしか見えてないから、そんなリーダーにはついて行きたくねーなってことだけだわ。こんなに色んなことやってますから大丈夫っていう、圧倒的な戦略を見せてくれよ。もし今大した戦略がないってことは戦争だったら死ぬってことだぜ。戦争放棄してるからって戦略まで捨てちゃいかんだろうよ。

コロナで苦しんでいる人を基準には考えられないものかね。まさか早くオリンピック終わらないかなあって思うなんて、夢にも思わなかったよ

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

民主主義と自由主義を間違えると乱暴な人の集まりにしかならんぞ! [ニュース]

言いたいことは言ってもいいけどさ、民主主義っていう多数決は根底に「受け入れる心」がないと争いしか生まないと思うのだが、そういうことに気が付くのに佐藤区長40年近く掛かりました。

子どもの頃、佐藤区長はクラスの中でも明るくて元気で、お友達も多い方だったんだと思うが、要するに意見を求められる方の人間だと思って生きていたと分析します。文化祭や運動会でも「こうやろうよ!」って皆の意見をまとめる側というか、先導する側というかね。まあ、マジョリティの側の人間だと思って疑ってなかったよ。乱暴に書くと、少数意見は聞いたとしても、大して気にもせず、多数決をさっさと取って蹴散らしていくという感じかね。そんな気はさらさらなかったろうけれども、分析してみるとそんな感じ。

さて、大人になって今思うのは、俺ってマイノリティじゃね?ってこと。

今のマジョリティはネットの力を使って声を集めることが出来るようになった、俺が少数意見だと思っていた側の人たちなのかもしれないと感じている。俺が大雑把に発信していたものなんかよりも、繊細な感じを醸し出す意見に多くの人は賛同しているように見えている。時代は大多数という分け方が出来ないくらい、色んな意見で溢れているみたいだ。アメリカの選挙でそう感じたけれども、多数決がものすごく拮抗していて、民主主義が機能していないように思える。選挙の結果を認めることが出来ないから、勝ち負けという対立ばかりが取り残されている。それが現在の民主主義なのではないだろうか。

これまで声を挙げ辛かった人たちの声が聞こえてくるのはいいことだと思うし、多様性を尊重することは現代社会において必要な思考なんだと思う。でもさあ、俺は思うよ。差別の問題とか、ハラスメントの問題とか、「ソーシャルインクルージョンだ!」って多様性を謳っているように見えて、実は少数意見を排除しようとしていることとつながっているんじゃないかって。オリンピックの森さんの問題を例に見ても、かつてのマジョリティである古い思考回路を持つお年寄りを徹底的に排除するということは、差別にならんのかね?俺は子供に、男なら「女の子を守れるくらい強くなれよ」って言うし、女の子なら「男の子には優しくろよ」って話したいと思っているけどね。

民主主義、自由主義、多様性って言葉は聞こえはいいけれども、そこには仲間外れとか、対立とか、争いとか、そういうことと表裏一体の怖さがあるということに気が付いたよ。

そんで思うわけよ。ほとんどの自由は許されている国なんだから、せめて反対意見の人にも同じ意見の仲間がいるはずだよなっていうくらいの、「受け入れる心」を忘れないように生きて行こうよとね。トヨタの社長がスポンサーとしてコメント出していたけれども、あれも排除の思考だわ。そうではなく、今の日本の現状を認めた上で、「この国の悪しき慣習なのかもしれませんね」って、年寄りの高圧的な組織運営の在り方をいよいよ見直す時が来ましたなと、遅過ぎたかもしれないけれども、これからの日本を見ていてくださいみたいなことを発信出来たらよかったのかもなって思う。森さんみたいな人いっぱいいるよ。そんな人を選んだ人がいて、その人に頼り切っている組織のメンバーがいて、その人たちを選んだ人もいて。結局みんなの責任だと思うけど。それが民主主義だぞ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

政治に絡んで人が死ぬことの最たるものは戦争 [日々感じること]

近畿財務局の赤木さんのことを考えていて、なぜ国は間違いを認めないのかということを思い、オリンピックに絡んで安倍氏の名前が出てくることに違和感を感じ、死んだ人が顧みられないことに、悲しくなって来まして、いじめもそうだけど、誰かの行動が原因で人が命を落とす結果になるということをもう少しちゃんと考えなきゃいかんと改めて。

うちのご先祖様は太平洋戦争に乾物屋から軍に徴用されましてグァム島で戦死したという軍歴があります。要するに、お国のために命を捧げたということなのです。行きたくなくたって、右も左も男はみんな召集されているのだから、健康な体を持つ男子であれば戦争に行くしかなかっただろうし、町も村もとにかく万歳万歳で送り出していたんでしょうよ。そんな時代でした。このご先祖様の話を婆さんがしてくれたことがあるが、グァムに行く前に基地のそばの麦畑に婆さんを呼んで「この戦争は負けるから子どもを連れて疎開しなさい」と言われたんですって。国のために死地に向かうし送り出すし。とてつもない時代だわ。軍人という政治家にあおられて、戦争は勝つものだとして生きてきた日本人は、それがどんな悲劇をもたらすのかも分からないまま、殺し合いに参加してしまったんだなあ。

ま、その反省として、国のために命を捧げるなんてことは辞めよう!ってな国作りがあって、戦争も放棄されているし、個人は個人として尊重されているし、知りたいことは何でも知っていいよっていう時代になっているんでしょうね。

なんとも壮大な建前ですな。これは。現実はこんなどうでもいい建前で格好付けている場合じゃない!!

時の総理のために、佐川という男が、国のトップを守るぞ!ってな指示を出して、その結果責任感が強く、国民のために働くことを生きがいに感じていた赤木さんという真面目な方が、指示通りに動いてしまったことに悩みぬいた挙句、死を選択せざるを得ないところまで自分を追い込み、命を落とすということが、令和のこの世に起きているんですって。悲しいことだ。

誰のために生きることが尊いのか?戦争時は天皇陛下のためであっただろう、現代の赤木さんは主権者である国民のためであったのだろう。それが尊いのかどうかは分からないけど、時代が変わっても、国のために死ねる人がいて、この命懸けに対して、なんとも無責任な関わり方をしてくるのは、いつの時代も政治家なのだよ。命を懸けて!って言うのは選挙の時だけでね。なんの足しにもならん。まさか本当に死ぬことはないから、せめて命懸けで「すまなかった」と言えないものかね?どうなりたいのだろう?誰をお手本に生きてきて、誰のお手本になろうとしているのだろう?何で政治家になったんだろ?まさか自分のためとは言わないよね?政治家って絶対にたくさんの人の代表だから、個人のことを優先しちゃだめな仕事のはずだろう。あ!まさか仕方なくその仕事についている人って多いのかね?やることなくて父さん母さんもやってるからやってますなのか?もしそうならふざけるなと言いたい。そんな気持ちで務まるような仕事じゃないはずだ。そんな気持ちで持ってていい権力じゃないはずだ。

昭和の戦争のあと、多くの国民は、殺人者である自分を、家族を死地に送り出してしまった自分を許せずに、あの時代のことを封印して、残ったものの責任として、国作りのために生きて来た。高度経済成長期以降、この国は何か成長したのか?と考える。この何十年も成長してねえな。丁度俺の成長と同じ時間分、この国は成長してなさそうだな。現代を生きる人間の責任として、ここまでの国にしてくれたご先祖様に感謝して、立派な国民になりたいものである。そのくらいの責任は果たしたいと思う。戦争で死んだ身内がいる最後の世代として、もう少し日本の国作りに関して気にしていたいと思う。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

思い切って佐藤区のオリンピックへの思いを書いてみた [ニュース]

ぺこぱじゃないけど、コロナ前に時を戻すと、あの時何を思っていたか。

・新しくなった国立競技場で世界のアスリートの姿を見てみたい。
・スポーツバーで外国の人と話をしてみたい。
・どんなグッズを買えば記念になるのか楽しみ。
・予選を勝ち抜いてきた代表選手を応援して、一緒に君が代が歌いたい。
・新作グッズを作って外国人相手に物販部門でひと稼ぎしたい。
・毎日ビールでも飲みながらNHKの今日の総集編を見て泣きたい。

素敵な未来を夢見ていたあの時の佐藤の思いは、いよいよ日本も旅行業を筆頭に日本の経済やエンタメ業界が湧きかえり、個人消費も増え、オリンピック後の新しい21世紀の生活がスタートするんだなということだったし、自分のことで言えば、子どもを作って、子どもには五輪にちなんだ名前でも考えてみたり、何か新しいことが始まる予感しかしていなかった。

さて、今オリンピックに関わっている人たちはどういった思いで開催を待っているのか。

まず選手が不憫だ。自分がいつコロナになるのかも分からない中、地球上にどこにも逃げ場もなく、立ち向かうことが商売のアスリートだからこそ逃げたくもないだろうし、とにかく各自目標をもって日々のトレーニングに集中するしかないということの辛さよ。たくさんの人たちに見てもらって夢と希望を与えたいと思いながら、スタジアムには来ないでくださいというアナウンスしかできない。スタジアムに来たら来たで隣の人とは話さないでくださいという変な状態で見ているお客さんと、距離を感じながらの競技になるのか。本番前のトレーニングも感染対策とか言われていつもと勝手が違う状態で、スタッフに一人でも感染者が出たら2週間隔離でと。テニスの錦織の場合は移動の飛行機の乗に客感染者が出て大会前のホテル隔離ということで、大会前の調整も出来ずに本番に臨んでいった。

言い訳するな!みんな同じ条件だ!って言われればそれまでだけれども、いまいち盛り上がれない。控えめに頑張ってと声をかけてあげることしか出来ん。

オリンピックに賭けて投資しちゃった中小企業、新規事業立ち上げなんかもたくさんあっただろうに。失業者もたくさんいるけれども、借金しか残らずに、顧客も開拓できずに時間ばかりが過ぎている経営者たくさんいるでしょうよ。すべてが不憫。

俺は今年の最初に森さんが「俺が今辞めるって言えるわけないだろう」ということを言っているのを聞いて、1億総玉砕と言った日本軍部の生き残りかと思ったよ。

またチャレンジすればいいんじゃないかな。いつかまた東京オリンピックやればいいんじゃなかな。東京オリンピックの出場が決まった人たちよりも、生活に困った人の方が多いのよ。ここは、誰のせいでもないんだから、選手にちゃんと謝って、オリンピックに国の金を使っている場合じゃなくなってしまったと、一日でもはやく決断した方がいいんじゃないかね。1億総玉砕か。逆よ。誰も殺さないということを基準に何かを始めて欲しい。今、テレビに出てくる決裁権を持っている人たちは、安倍さんもそうだったけど、1億人殺しても、自分だけは逃げ切るぞっていう人たちに、俺には見えている。半藤一利さんの昭和史で学ばせてもらったけど、20世紀の戦争のあのころと21世紀の今、政治の世界にいる人たちはそれほど変わってないのね。おかしな話だ。

戦争で唯一の被爆国というだけでなく、2回もオリンピックが出来なかった国っていうのも、日本のアイデンティティということでどうだろう。佐藤区としては、オリンピックの件は早く終わればいいのにって思ってる。この問題がコロナの収束を邪魔しているようにも見える。いまいち集中出来ん。あ!パラの代表選手が亡くなったって記事も出てたね。コロナではないという記事だったけど。ふむ。どうしたもんだろう。

大体書けたかな。一日一日を大切に生きて行こうと思っているけれども、早く秋が来ないかなって思う。なんとか無事にオリンピック期間過ぎて欲しいなって。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

多様性の尊重と差別発言をする人を受け入れることとの間にあるやるせなさ [ニュース]

今年はブログも更新して行こうと思って。昔みたいに書いてみよう。

「多様性の尊重と差別発言をする人を受け入れることとの間にあるやるせなさ」

自分を世の中の流れに合わせることが出来ないお年寄りはたくさんいると思う。俺だって、LGBTのことをどう自分の中に位置付けたらいいのか迷いながら生きているという点で、まだまだ時代に合わせることが出来ていないと感じることが多い。ましてや、大変な思いをして生き抜いて来た70歳80歳の先輩が、時代に合わせて思考回路を変更していくなんてことを強いることなんか出来ないと思う。

だからこそ、変われない人は国を代表するようなところにはもういられないよね。今のやり方知らないんだから。このままだと、一蓮托生で日本人が恥をかくということになる。もしくは、余りにも違う人種過ぎて、人のことを気にするのを辞めることを選択するようになる。森さんも、二階さんももういんじゃないかね?昔の面影ないし、よぼよぼじゃん。引退のチャンスだわ。引導渡してやるっていう愛もあるんじゃないかね?

もしかしたらコロナになってよかったことの一つになるのかもしれない。大事なことと向き合えるチャンスなのかもしれない。

なんだかオリンピックがちっとも盛り上がって来ない。こんな日本人全員が盛り上がれるようなイベントが、全員で盛り上がれないような現状は、誰がどうやって挽回してくれるんだろう?聖火ランナーとかボランティアの辞退とか、招致に尽力した人たちの姿も全く見えてこないし…

オリンピックがどんどん他人事みたいになってるよ。とても心配だ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。