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安倍元総理銃撃事件報道を見て思うこと [ニュース]

まず、安倍氏が亡くなったことについて何の感情も湧いてこない自分がいるということを書いておきたい。各国首脳からの弔意、各党の政治家からのコメント、献花に訪れる国民の姿、安倍氏の生前の功績を称えるような報道に対しても、何の感情も湧いてこない自分がいる。

その理由をずっと考えている。

サトーはずっと桜の会、森友問題に対する彼のスタンスが分からなかったから、ずっと分かりやすい理屈が説明されるのを待っていた。その答えが一生聞けないのかと思うと、ある虚無感に襲われるだけで、そこに何かの感情が動いているということではなさそうだ。それがとても残念で。なんとも思わないということがとても悲しい。チェっていう感じが伝わりやすいのかもしれない。そんなところか。

そして、銃撃事件報道は警備体制の不備だのなんだの。ちょっと待てと。今回の選挙でも40か所。それまでの長期政権での何千回と繰り返されてきた遊説を経て出来上がった、ある意味、これが完成された警備体制でなければならず、それは誰のせいでもない、本人含めた警備チームが作り上げた、考え得る一番スリムで強い最上の警備体制であったはずだ。それを、生きているうちに口出しできるはずもない人たちが、防げた防げた言っている姿に。何だろう。哀れを感じる。だからこそ、安倍氏本人がが作り上げた最高の警備陣の中で、目の前の敵を止められずに死んでしまったということは、これは悔しいかもしれないが仕方なかったと本人も分かっているはずだ。という意味で、死に方に関して、あれは安倍さんにとっては本望だったに違いないと思うことにしている。素人の集団じゃあるまいし。油断しているわけもなく。まあ、認めるわけにもいかないわな。今後はどういう体制で行くとも言えないし。

そういう意味でも、どういうわけか、一連の報道に対して、馬鹿らしいなという気持ちが大きい。

そして突然、旧統一教会というか、新興宗教に脚光が当たっているが、宗教法人も、政党も、あるカリスマの元に集まって、お金を必要とし、不幸になる人も出るということを見ると、どうも根っこは同じなんじゃないかと思い始めている。今のところ、政権与党を信じている人に対してはどこか機能しているのかもしれない政治だが、ちゃんとやってくれと思っている人にとっては、政治は大して機能していない。そんなところも、宗教と同じだと思える。そんなことを考えていたら、世の中にたくさんいるインフルエンサーと呼ばれる人たちも、教祖と信者の関係と同じ。アイドルもそう。それぞれ呼び方が違う教祖がいたるところにいて、国にとってはまとまりを欠く結果になっている。その結果ということなのかもしれないが、ガーシーというどこかのカリスマがが参議院議員になってしまった。もう、無視できるような小さな集団じゃないということなんでしょうか。このカリスマ乱立時代の到来は、多様性の先端を走っているということなんでしょうか。民主主義国家の国民として、選挙の結果を受入れるところから始めなければいけないのでしょうか。無視して先に進んでもいいのでしょうか。

この国の向かっていく先が本当に分からなくなった。
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