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「広島ビジョン」はどう考えても間違えている [日々感じること]

広島にルーツを持つ総理大臣が、広島の地でぶち上げた「広島ビジョン」のおぞましさを、どういう訳かほとんどの日本人がスルーしているという異常事態をどう受け止めればいいのか。世界の中で原子爆弾が落とされた町は日本の広島と長崎の二つだけ。広島にルーツを持つ岸田家。一族の多くが被爆しているという、そのアイデンティティの元で政治家になり、広島の声を誰よりも大きな声で言うことのできる政治家が総理大臣になったことの意味よ。その男はサミットの議長になり、広島、長崎だけでなく日本人の総意として核兵器への思いを語る立場にあった。そこで出てきた「広島ビジョン」。広島の名前の付いた宣言で核兵器の必要性をうたっているという残酷さ。ロシアや中国が核を捨てると本気で思っているのか。そんな中で核兵器のない世界を目指すとは何をすることなのか。ウクライナへの侵略も止められない世界秩序をどう見ればよいのか。威嚇として持つなら、威嚇としてこっちも持つということを抑止力と言っているならば、核兵器はずっとなくならないということになる。結局「抑止力において必要」というのは詭弁ということだ。今後、誰かが核を使おうが使うまいが、万が一核兵器が使われたら、その責任は「核兵器は必要だ」と言ってしまった被爆国日本にある。どっちみちゴールの見えない核理論のなかで、誰が必要だと言っても、日本人だけは必要ないと言うべきだった。その絶好の機会をみすみす逃した上、今の政権である限り、日本が核兵器禁止条約を批准することは完全にないということがはっきりした。意気地のない話だな。確かに、核兵器の必要性、武力の保持を言い続ける学者、評論家はたくさんいるが、結論は、ロシアの戦争が終われば、ようやく核兵器のいらない世界が来るかもしれませんということなんだな。終わりの見えない侵略戦争がいつ終わると思っているのだろう。終わらないのだとしたら、どうせ日本がロシアの侵略戦争の終結に一役買うことなんかないんだから、だからこそ、どうせ必要のなくなる武器に対して予算をつぎ込むのではなく、他の異次元のなんちゃらとかに回してみたらよかろうと思う。他の予算を擲ってまで軍事費に予算を回すという発想は私にはない。ウクライナの復興に向けて支援するということで十分だと思う。その時こそ震災大国日本の出番なんだと思う。

私は30代になったころから昭和の戦争に興味を持ち勉強を続けているが、なぜ日本中が戦争に熱狂していったのか、当時何が人を戦争に向かわせたのか、日本史のなかの敗戦の意味合いを戦死した先祖を持つ日本人として、自分なりに知っておきたかったというのがあったと思う。そんな中で、太平洋戦争の軍人の記録を照会することが出来るということを知って、戦死した祖父の記録を取り寄せたことがある。私の祖父は乾物屋で、30代のころ徴兵されてグアムの地で戦死したようだ。記録というものがとてもリアルだった。祖父のことをある意味でとても身近に感じた。そんな祖父は、子供の手を引く祖母を基地のそばに呼び出して、日本は負けるから疎開するようにと、子供たちのことは頼むと、そう言って戦地に向かったと、そんなことがあったという話だけは父に聞いたことがあるが、当時の日本人の心理を思うと、生き残った人たちが戦争のことを語りたがらない理由が分かってきたような気がしている。なぜ「万歳万歳」と夫や息子を戦地に送り出してしまったのか、仲間は何のために死んでいったのか、なぜ自分は生き残ってしまったのか。生き残った人たちは全員、直接的間接的にかかわらず、人を殺したという思いを抱えていたはずだ。生き残った人たちが語ろうとしない理由は、自分には語る資格がないと考えていたか、語る意味がないと思っていたからなのかもしれない。そして思う。昭和の戦争にもし意味を持たせることが出来るとしたらただ一つ。核兵器は絶対に使ってはならないということだけだと。抑止力だろうが何だろうが使ってはいけないということを唯一言える国が地球上に生まれたという点に集約できると思う。

もうすぐ戦争が終わって80年になる。特攻に志願して待機していた中で終戦を迎えた方のインタビュー記事を読んだ。裏千家元家元の千玄室氏。今でも世界平和のための活動を続けてらっしゃるのだが、今の日本人の生活を見て「あの時死んでいればよかったとさえ思う」と言っていたのが衝撃的で。とても苦しくて。私たちは100歳を越えた先輩に、なんてことを言わせているんだと愕然とする思いになった。今のままの日本でいい訳がない。核兵器を認める政治家が総理大臣でいい訳がない。という私の思いが気が付けばマイノリティであるというのは民主主義国家の国民として、自分の生き方に対する結果なんだと、仕方ない、受け止めようと思う。元総理の射殺事件。現職総理の爆弾テロ未遂。白昼堂々の強盗殺人事件。記事を書いているうちにも、自衛官の発砲殺人事件が起きている。一年のうちにこんなに凄い事件が立て続けに起きるものかと。改めてこれが今の日本なんだな。

さて、あなたはどっちの人間だ。どっちにしても日本人として何を思うのか。せめて日本人として日本のことを考えてみて欲しいと思う。

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防衛費が増額されると言ったって。 [ニュース]

防衛費が激増しているが、日本の国防について少し。

21世紀目前の1999年3月24日6時7分、日本政府は北朝鮮に拉致された日本人を乗せた不審船の追跡を断念する。

その二日前。海上自衛隊のイージス艦「みょうこう」は「特定電波を発信した北朝鮮の不審船を発見せよ」との命令を受ける。北朝鮮の不審船とはようするに、日本人を拉致している北朝鮮の工作母船のこと。

艦長ののちの回想では、「武器使用の訓練は受けているが、乗り移って人質を奪還するなんていう訓練はしていない。不審船には自爆装置が装備されているはずで、最終的には全滅することは分かっていた」と。それでも「国民の生命と財産を守る」という理念のもと、全滅覚悟で待機していたが、出撃の直前に停止命令が出る。みょうこうの乗員は拉致された日本人が乗っている工作船が北朝鮮に猛スピードで戻っていくのをただ見ていることしかできなかった。

横田めぐみさんが拉致されたのは1977年。拉致被害者の「家族会」、そして全国の研究者で立ち上げられた「救う会」の発足が1998年。この事件が1999年。この20年以上もの間、拉致は続けられていて、自衛隊にはそれを阻止する手立てがなく、目の前で取り逃がしてという国防の在り方があった。この「能登半島沖不審船事案」をきっかけに、海上自衛隊内に特殊部隊「特別警備隊」の創設が決まり、同じころ経緯は違うが、陸上自衛隊にも特殊部隊「特殊作戦群」が出来る。

というような話を知らずに生きてきた。

現状どの程度機能している部隊になっているのか知るすべもないが、社会福祉士の試験勉強中は読むことを止めていた月刊「致知」の2021年7月号の元陸上自衛隊の新谷卓さんと元海上自衛隊の伊藤祐靖さんの対談を最近読んで、何も知らないというのは本当に罪だなと感じている。お二人の話の中で、優秀だけど人質救出部隊には向かない性格とか、地位や名誉を目的に生きている人間には命を投げ出してもという人質救出作戦には向かないとか、欲しいのはプレイヤーじゃなくて、ルールメイカーなんだという話は現場の話としてとても勉強になる。ただ、自衛官の目の前で日本人が誘拐されていったという事実は大きい。それまでの自衛隊には国は守れなかったということを、なぜ知らずに生きてきたのか。ニュースに興味がなかっただけなのか、報道されてなかったのか。2010年の中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた「尖閣諸島中国漁船衝突事件」では、中国人船長他乗組員を逮捕するも、処分保留で釈放というニュースは覚えている。

現状武力では守れそうにないこの日本国の国民は、どこに向かって進めば最善なのだろうか。ミサイルをたくさん買うことだとはとても思えない。それにしても、国民一人一人が向かって行くべき指針、国としての夢が一つも示されないまま何十年も来ているように感じているのは私だけなのか。オリンピックでもアベノミクスでもない。もっと40年50年先の夢を語りたい。夢のある国作りに参加したいし、是非させて欲しいと思って生きている。しかし現実は、「皆さんそうしておられます」という国民性の中で、国全体としての目的や目標がないからなのか、義よりも利に拠って生きることが正しいとされる今の個人主義や資本主義の世の中で、へんてこな事件が目に付く。詐欺、強盗、殺人、無理心中みたいなストーカー犯罪。スマホを見て視線を落としていれば、目の前で起きていることに気が付かなくて楽だとでも思っていそうな人たちを毎日電車の中、街の中でたくさん見かけるにつれ、どうしたものかと悩む日々である。宮台さんの「適切に絶望する」という言葉を噛みしめながら、無視することだけはしないようにと、必死に思考している毎日である。

「国の未来」というこのたった四文字の夢を大きな声で語りたいものである。


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安倍元総理銃撃事件報道を見て思うこと [ニュース]

まず、安倍氏が亡くなったことについて何の感情も湧いてこない自分がいるということを書いておきたい。各国首脳からの弔意、各党の政治家からのコメント、献花に訪れる国民の姿、安倍氏の生前の功績を称えるような報道に対しても、何の感情も湧いてこない自分がいる。

その理由をずっと考えている。

サトーはずっと桜の会、森友問題に対する彼のスタンスが分からなかったから、ずっと分かりやすい理屈が説明されるのを待っていた。その答えが一生聞けないのかと思うと、ある虚無感に襲われるだけで、そこに何かの感情が動いているということではなさそうだ。それがとても残念で。なんとも思わないということがとても悲しい。チェっていう感じが伝わりやすいのかもしれない。そんなところか。

そして、銃撃事件報道は警備体制の不備だのなんだの。ちょっと待てと。今回の選挙でも40か所。それまでの長期政権での何千回と繰り返されてきた遊説を経て出来上がった、ある意味、これが完成された警備体制でなければならず、それは誰のせいでもない、本人含めた警備チームが作り上げた、考え得る一番スリムで強い最上の警備体制であったはずだ。それを、生きているうちに口出しできるはずもない人たちが、防げた防げた言っている姿に。何だろう。哀れを感じる。だからこそ、安倍氏本人がが作り上げた最高の警備陣の中で、目の前の敵を止められずに死んでしまったということは、これは悔しいかもしれないが仕方なかったと本人も分かっているはずだ。という意味で、死に方に関して、あれは安倍さんにとっては本望だったに違いないと思うことにしている。素人の集団じゃあるまいし。油断しているわけもなく。まあ、認めるわけにもいかないわな。今後はどういう体制で行くとも言えないし。

そういう意味でも、どういうわけか、一連の報道に対して、馬鹿らしいなという気持ちが大きい。

そして突然、旧統一教会というか、新興宗教に脚光が当たっているが、宗教法人も、政党も、あるカリスマの元に集まって、お金を必要とし、不幸になる人も出るということを見ると、どうも根っこは同じなんじゃないかと思い始めている。今のところ、政権与党を信じている人に対してはどこか機能しているのかもしれない政治だが、ちゃんとやってくれと思っている人にとっては、政治は大して機能していない。そんなところも、宗教と同じだと思える。そんなことを考えていたら、世の中にたくさんいるインフルエンサーと呼ばれる人たちも、教祖と信者の関係と同じ。アイドルもそう。それぞれ呼び方が違う教祖がいたるところにいて、国にとってはまとまりを欠く結果になっている。その結果ということなのかもしれないが、ガーシーというどこかのカリスマがが参議院議員になってしまった。もう、無視できるような小さな集団じゃないということなんでしょうか。このカリスマ乱立時代の到来は、多様性の先端を走っているということなんでしょうか。民主主義国家の国民として、選挙の結果を受入れるところから始めなければいけないのでしょうか。無視して先に進んでもいいのでしょうか。

この国の向かっていく先が本当に分からなくなった。
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BIGBOSSの日ハムをついつい応援してしまうサトースターク!! [野球]

日ハム勝ったね!!昨日ついに1勝目を挙げて、さて新庄監督は通算記録に勝ちが付きました。いくつまで行くのかね?楽しみだなーーー。

にしてもBIGBOSSのコメントに「そう、それだよーーー」ってほぼ同意しながら聞いちゃうサトーがいますね。プロの解説者は軒並み最下位予想だけど、それはそれ。「優勝は狙っていません」って言うBIGBOSSの思いを、勝つ気がないのか!!とか、選手のモチベーションが上がる訳がない!!と解釈しているようだけれども、俺は違う思いで見ています。

そもそも、野球選手が「勝たなくてもいいんだー」なんて思う訳がない。負けてへらへらしているはずもない。そんな大前提を監督のせいにしてみたり、優勝狙ったら怒られるのか?って思ってしまうような選手がプロになっているわけないよね?ってことは、確認するまでもないことでね。勝ちたいに決まっている。今季BIGBOSSがやろうとしていることは、そんなことではなんですよ。他の監督はとにかく優勝を目標にやっているけれども、とにかく気持ちだけは優勝を目指すんだ!実力は後回しでもいいから、とにかく優勝を目指して一年間戦うんだ!それはその監督の考え方よね。阪神なんて、監督が今季限りだからっていう入りしているけれども、日ハム以上の6連敗スタートだからねえ。で、BIGBOSSよ。彼の野球は、

「上手な選手が集まれば勝手に優勝する」

ってことでしょ。ここが圧倒的にサトーの考え方と同じ。

選手をとにかく腕のある選手にしてあげたいんだ!ってBIGBOSSは思っているんだと思うのよ。そうすれば「きっとうまく行く」って、大きな声で言ってくれているのよ。ようするに、優勝するには先にやることがあるってことだと思うのね。優勝目指さなきゃプロじゃない!ってことではないんだと。これは理解できない人は理解するまでに時間のかかる思考なのかもなあとも思う。まあいいか。今BIGBOSSのやってくれていることは、

全力で野球をやろう。
既成概念にこだわらず、今、自分にとって正しいことをやろう。
お客さんは俺が呼ぶから、とにかく愛される選手になろう。

たったこれだけだと思うよ。そしてここに込められているメッセージは

だから、とっとと上手くなれ!!
そこにだけ貪欲になれ!!

っていう親心というか、ボス心なんだと思えて仕方がない。愛だなあ。サトーはこの感じが好きなのね。だってさあ、技術の向上に貪欲で、その上人間的にも成長させて、ファンから愛されるような選手を育てようとしている監督を責められる人っています?そんな選手になってしまえば、監督なんか誰でもいいよね。いい野球するに決まっているもの。高校野球とも社会人野球とも違う、プロの大人の人間の野球よね。いずれトレードでどこに行っても、それがメジャーだとしても、あとはそのチームの戦術の中で野球をすればいいという、プロ中のプロの選手が出来上がるってことですよ。ぶっちゃけ監督だけが一番戦術に長けてるってことでもないのよね。子供のころからずっと野球やっているんだし、エンドランのタイミングだなとか、盗塁のタイミングだなとか、ウェイティングのタイミングだなとかなんとなく分かるのよね。大まかには選手は理解できているよ。そこにちょっとしたスパイスを加えていくのが戦術なのかもね。そこが監督の個性かも。そういうところもBIGBOSSはちゃんと監督をしていると思うよ。セフティバントのサインを3球目に打てのサインに変えたのに、まだセフティやっちゃった選手にがっくりしてたもの。意図があんだよってさ。ちゃんと戦っているのよねえ。面白いなあ。

監督とはっていう既成概念を自分自身でもちゃんと疑っている監督が、選手に既成概念に囚われるなって言っている姿は本当に責任感の表れだと思うね。

とにかく上手くなることに貪欲であるべし。

これは、エリートではない選手だったサトースタークが、エリートの中で野球をやり、お芝居をやった中で感じた、プレイヤー論なんだろうなあ。偉い人に怒られないようにやるんじゃない。正しいことをやり続けて腕を上げる。すぐに結果が出なくても上手くなるまで続ける。それは誰のためなのか。忘れがちだけど、そうすることが、ファンのためなんだということね。ファンが喜ぶことが、自分のためなんだよってね。

大丈夫。BIGBOSSの日ハムをファンはちゃんと喜んでいるから。その中に愛せる選手いっぱい出てきて欲しい。

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Netflix「新聞記者」は森友事件の解説書だ。 [ニュース]

Netflix「新聞記者」は森友事件の解説書だ。


このドラマとにかく「森友事件」である。赤木さんがなぜ死ぬほど追い詰められてしまったのか、細かいディテールは違ってはいても、自死に至る道筋はとても分かりやすく説明されていて、悲しくて泣いた。とにかく、総理夫人への忖度が発端で、総理自身が夫人への忖度なのかなんなのか、国会でアホみたいに吠えたことに、さらに忖度が進み、誰一人その違法性を訴えることをしなかった組織の中で、唯一心を痛めた赤木さんが自ら命を絶ったというのが事実だ。

ここに書いた組織とは、何を隠そう日本という国だ。大げさなことでも、他人事でもなんでもない、日本という国が違法なことを組織の下の人間に順番に指示していったということだ。ここのどこに、自由と民主主義があるというのか。恐ろしくファシズムではないか。さらに質が悪いことは、多くの人間を敢えて関わらせることで一蓮托生にし、誰も責任を取らず取らせず、関係者がことごとく出世していることを許していることだ。

なかったことにするにはあまりにも構図がはっきりしている。よくもまあ、何事もないように、日本人をやっていられるものだ。選挙のことを笑ってなど話せない。この国は、誰がどんな国にしてしまったのか、どんな国であるのか分からないまま、選挙のはなしなど出来ないはずだ。この夏は参院選があるなんて、軽く言っている場合ではない。去年の衆院選では、国民はこんなファシズムな政党を選んだということにもショックだった。ただ、民主主義だから仕方がない。多数決で決まってしまった。ただ、本当に仕方がないのか?俺から見たら、国民の大半がこの日本の現状をまるで分っていないまま投票しているように思えてならない。この事件を見たら、こんなにも恐ろしい政党を選ぶ訳がないと思うのだがどうだろう?知っていて、それでも選んでいるのか?

ここに嘘が書いてあるかね?

順番に分析していけば、どんなことが起こっているのか、これ以外の筋書きがあるわけないことは分かるはずだ。これは本当の話なのだ。まさかドラマになってしまった。小説や映画で取り上げられていたとは露知らず、知らなかったことを恥じたい。それにしても、世界発信のドラマになっているんだな。まさか日本のニュースが題材の、こんなテーマのドラマが作られるとは。Netflix恐るべし。ドラマの結末は語らないが、実際には権力者はのほほんと生き延びているんだなこの国では。とんでもない国だな。

長い歴史の中で、こんなにも権力を自分のことに使っているにも関わらず、国民に咎められることなく悠々と生きられた時代があったか?主権者の一人として俺は、こんな日本では納得できない。もう一度、戦国時代に戻ってもいいから、天下泰平の世の中を目指したい。四季を国民全員で喜び合えるような国にしたい。

「忖度」という言葉が大きく取り上げられた事件「森友事件」。この事件を題材にしたドラマ「新聞記者」。権力に対して媚びをうることが「忖度」で、「忖度」は下の者が損をするという意味かと理解できた。このドラマの意味は「森友事件」の構図をもう一回分かりやすく浮かび上がらせてくれたことだと思う。それだけじゃないテーマもあるのだろうが、死んでしまった赤木さんがリアルにいるだけに、それ以外のテーマは一切入って来なかった。「新聞記者」というタイトルに答えが出ないのは、演技の問題なのだと思う。圧倒的なリアルな題材に勝てなかったということなのかもしれない。

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オリンピックを中止するのは簡単だけど、やるというのであれば [日々感じること]

オリンピックが始まっているが、オリンピックを開催する・しないという問題が今でも新聞の紙面に載ってくる。でも、やらないというのは戦争でも始まればやれる訳がないんだから、中止はいつでも出来ると思うんです。で、結局はやるということで全体が動いて、天皇陛下が開会を宣言したんです。今からごねても仕方がない。やっておかなきゃいけなかったのは、ここまで来るまでの間に、「オリンピックを開催するためにはここまで準備しておかなければならない」ということを、与党も野党も知恵を出し合っておくべきだったと思うがどうだろう。それをせずに反対派のやっていることはと言えば、署名が何名分あります!!とか、うちの党は賛成しません!!と大きな声で言うことだけだったでしょ。結果、やる派やらない派のどっちの政治家も痛くも痒くもないし、ましてや中止を言うことで都議選で票が伸びたとまで言っている。まったく。今大事なのは票じゃねえ。命がけでオリンピックを止めるという行動だったのに。結局のところ話し合いなんだってよ。陳情は上げました!ってよ。知らんわ。生活が全く痛まない政治家さんたちのパフォーマンスに時間を取られて、とにかく今苦しい人たちが少しも浮かばれいていない現状をどうするつもりか。コロナで死んでいった人たちの命がないがしろにされ過ぎている現実にどう折り合いを付けられるのか皆目見当もつかない。なので、政治家に期待するのは辞めました。もう全てが手遅れです。志村けんさんの死はどこにも響かなかったということです。

オリンピックとコロナの問題はちゃんと考えておかないと、オリパラが終わって、ワクチン接種が進んでしまったら、うやむやにごまかされちゃいそうだから一回まとめます。ゆっくり冷静に考えて欲しいのは、オリンピックをやる・やらないの問題と、コロナを抑え込むという問題は、圧倒的に別問題だということです。なのに、うっかりしていると、ゴールが同じところにあるように見えちゃって困る。何がどう違うのかを確認してみたい。

まずは「コロナだからやれない」というところから見てみる。これは、国民への感染を防ぐことが第一になっているパターン。最初からこれしかなかったはずなのよ。一回、オリンピック開催に向けて時間や金、知恵を使うのはやめるという考え方。これは、今すぐにでもやれるんだろうけれども、もう始まってしまったけれども、1年前、オリンピック延期で出来た貴重な時間的猶予を、感染対策のために死に物狂いで有効活用すればよかったのにと思う。そうしなかった結果の今ですよ。その状態で、オリンピックをやるっていうこと自体、死人が出るかもしれないという頭がないってことだもんね。絶対に死なせないという覚悟もまるで見えないし、どう考えてもうちのリーダー達は気が狂っている。ということで、「コロナだからやらない」という考えは採用されないまま今に至っているわけだ。

それならばということで「コロナでもやる」という、日本が選んだハードルの高いミッションを考えてみたい。例えばどんな作戦があるのか考えてみると、
①ワクチンや特効薬の開発から何から、世界一の感染対策を講じて、なんとかしてオリンピック開催を実現する。
②とてつもない外交手腕を発揮して、ワクチン手配を実現して、世界一のワクチン接種率を達成した(達成見込みが立った)から、安心安全なオリンピックに世界中の人を呼ぶことができる。

これのどっちかしか、オリンピック開催に向かうことを許される作戦はないのではないだろうか。しかし日本のやっていることはと言えば、

①国民への感染防止対策と、オリンピックの開催には関係がないから別々のアプローチでコロナ対策とオリンピックをやる。
②大きな声では言わないが、感染が増えても(たとえ死者が出ても)、辞められない理由があるからオリンピックはやるしかない。
③有観客ではどうだ。
④無観客ならどうだ。
⑤契約だからしかたがない
⑥だって絆だから。

オリンピックをやると言いながらやっていることはこれですよ。他にもマスク2枚配りましたよ!ってことは恥ずかしくて書かなかったけど、この程度の感染対策で国民を説得出来ていると思っているのかいないのか。今のところの日本のコロナ対策を見てみると、ぶっちゃけ0点に近い。佐藤の50年の物事の判断基準で見ても本当に点数が付けられない。リーダーと呼ばれる人たち(政治家とか永田町近辺で色んな決め事している人たち)が、職場との往復を徹底するという誰でも出来ることをしていないというのもあるし、そもそも対策らしい対策が見えない。外国の企業が作ったワクチンをそろそろ余って来たようだから、日本にも回してもらえませんかねという作戦は、作戦と言うには余りにも他力本願で、点が付けられる代物とは思えません。しかもオリンピックを控えて、どこよりもワクチンが欲しかった国の作戦としては0点と言わざるを得ない。そもそもオリンピックに気が向いていなかったのか、コロナをなめていたのか。あ!ここだね。パンデミックという世界的緊急事態のときに国に危機感がなかったのが日本です。ダイヤモンドプリンセス号でのクラスター対策もそう、最初の緊急事態宣言の後にGO-TOという企画に時間と金をつぎ込んだのもそう。緊急事態という認識がとにかく甘かった。それによって何が起きたかというと、感染の拡大です。世界的なパンデミックという緊急事態が続いている中、水際対策も徹底されないままに旅行どうぞという政策をぶち上げた日本。今、何度目かの緊急事態宣言が出たとして、国民に対して緊急事態だと思って行動して欲しいというのは余りにも説得力がなさすぎる。今更何を言っても、仕方ないかと耳を貸してくれる人が増えるとはとても思えん。

それにしても、オリンピックさえなければ、たとえ0点のコロナ対策だったとしても、じっとコロナの終息を待つだけでよかったのに、オリンピックは止めないという方針が続いてしまった。だからもう「コロナだからやらない」という選択肢は考えても意味がない。今からコロナを理由に開催を中止にしようと叫んでも遅い。ここに来るまでに止めなきゃいけなかったんだ。反対の声を上げるだけの野党にも、もううんざりだ。声を上げるだけなら誰でも出来る。国会議事堂の中にいられる人間が、どうしても中止してくださいと、直接議論をしても止められなかったということは、今の与党を止めることの出来る政治家が与野党の中に誰もいないということだ。とにかく政治家には何かを期待しても仕方がない。何も出来ないということが証明されてしまった。何でこんなにもオリンピックにこだわる必要があったのか。未だ明確な説明は受けていない。得意の「国民のみなさまに丁寧にご説明します」詐欺だ。

そしてこんな愚策しか出てこない政府の中に、まさか次の選挙があると思い込んでいる節があるのが気持ち悪い。政治家だけでなく、マスコミもニュースの中で総選挙という言葉を発しているが、なんとも、どうかしていると思わざるを得ない。こんなにも愚策しかない与党に信頼を寄せてくれる国民がいると本気で思っているのか。まあ、与党に甘い汁を吸わせてもらっている一部の支持者がいるんだろうから少しは支持率あるんだろうとは思う。こんな国民のことをないがしろにしている永田町の住人に、まさかもう一度期待する国民がいるのだと本当に思っているのだとしたら、ちょっと待ってもらいたい。いくらなんでも国民をバカにし過ぎだ。正直、選挙権の使い道に窮してしまっている。投票する以外の選挙権の使い方はないものだろうか。全員クビに出来るような審判のために使える権利にならないものか。比例政党を書く欄に「該当政党なし」と書くとどうなるのか。せめて、安倍さんや麻生さんが議員になれないようにする方法はないものなのか誰か教えて欲しい。あの人たちはとにかく下品過ぎて表に出てきて欲しくないと考える。

俺は今という時代を恐ろしく感じる。近畿財務局の赤木俊夫さんみたいな人が死ななきゃいけないような令和の政治のなんとも恐ろしいことか。今こそ赤木さんに生きていて欲しかった。赤木さんみたいに、国民のために仕事をしていると大きな声で言える人にこそ、政治の中枢で活躍して欲しかった。赤木イズムこそ今必要な価値なんだと思う。派遣社員という身分の佐藤区区長の最新のお手本は赤木俊夫さんです。

話が散らかりましたが、とにかく、コロナ禍のオリンピックは、
「コロナ対策をここまでやってるからやる」、もしくは「コロナ対策がここまでしかできてないからやらない」というコロナ対策ありきの、この二つの作戦しかなかったはずなんだ。なので、やれることを全部やってもいない上でのオリンピック開催議論は、コロナ禍において意味をなさないというのが答えだ。最後に、今まで出てきたオリンピックをやる上でのベースとなっているであろうスローガンを載せておきたい。

招致のスローガン(2012年)
「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」

IOC総会での安倍首相のスピーチ(2013年)
「Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,the situation is under control.」(フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています)

JOC「がんばれ!ニッポン!全員団結プロジェクト」(2019年)
「心をひとつに、全員団結! さあ、いくぞ。がんばれ!ニッポン!」

開催延期決定後の安倍首相の会見(2020年)
「人類が打ち勝った証として来年の東京五輪を完全な形で開催する決意だ」

日東京五輪・パラリンピック組織委員会(2020年2月17)
「United by Emotion(感動で、私たちは一つになる)」

閣議決定後の丸川珠代五輪相の会見(2021年5月11日)
「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」

緊急事態宣言の延長発表の菅首相の会見(2021年5月7日)
「安心、安全なオリンピック」

空しい。空しすぎる。オリンピックは出来なかったが、コロナ終息後に、それに代わる世界規模のスポーツ・文化イベントを日本中でやることを企画するなどの知恵を振り絞った方が、楽しくなったんじゃないかなって思うけど後の祭り。今の段階まで来たら、もう人のことは構っていられない。粛々と家と職場との往復を徹底して、オリンピックを家でビールでも飲みながら精一杯テレビ観戦して、なんとかコロナから逃げ切りたい。選手村やオリンピック関係者の中から感染者が確認されているが、ここから先はオリンピックに関係する当事者たちだけでなんとか凌いで欲しい。破れたバブルの責任は責任者にきっちり取ってもらいましょう。

佐藤区では、オリンピックで活躍している選手たち全員をちゃんと応援していきます。

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コロナ禍のオリンピックをちゃんと考える。 [日々感じること]

佐藤区が考えるコロナ禍のオリンピックの問題点を整理しておきたい。

ここまで来たら止まらないのだろうし、選手はやる気になっているのだから水を差すつもりもないのだが、どう考えても今年オリンピックをやることは間違いだと思うので、始まる前に頭の中を整理しておきたいと思う。

①予算が膨れ上がっている
当初「世界一コンパクトなオリンピック」という触れ込みだったはずが、国立競技場の建設から予算は膨れ上がり、マラソンのために道路の塗料とかいろいろ整備したにも関わらず、夏の東京は暑いという理由で北海道になったり、まあーー、おかしな追加予算がかさんでいるのは確かだ。そこに来てコロナ対策費。去年の12月23日付けのBBCニュースの記事によると、当初予定していたオリンピック関連予算は1年の延期と、コロナ対策という追加予算により、総額は昨年公表された予算から2940億円増え、1兆6440億円に膨らみ、この時点で過去最大規模の夏季オリンピック大会になることが分かっている。あれから7か月。予算が減る余地はなく、国民参加が制限される中で、一体どの規模でこの大会は運営されて行くのか。少しでもお小遣い帳を付けたことのある国民であれば、もはや、使える公費などどこにもないことは誰でも分かる。なぜなら、金の出どころは税金とスポンサーから調達したお金であり、経済の混迷で今後税収は減り、チケット収入の減、観客数制限による、物販収入、飲食収入の減等、プラスの要素が見えない中、お金もないのにどうやって使うんだと、もはや恐怖しか生まれない。そして一番問題なのは、お金をかける意味が誰からも語られていないことだ。これだけ大きなお金を使うのであれば、コスパに関して誰か納得のいく話を聞かせていただきたい。さらに同じ記事では、

“武藤事務総長は、新型ウイルスの流行が世界で続く中での大会開催は、新型ウイルスとの共生が可能なことを意味すると説明。
「1つのスタンダード、ロールモデルを示す上で意味があるのではないか」と述べた。“

とあるが、コロナウイルスとの共生のどこが可能なのかの説明がされる必要があるだろう。一応書いておくが、6月30日の東京の新規感染者は714人。一週間前からどんどん増えている様子。明日はどうなることやら。「安心・安全」からは遠ざかっていくばかりに見えるのは私だけではないはずだ。

②復興五輪という理念が消滅してしまった。
2011年から10年。東北の人たちが自分達の生活を立て直していって、オリンピックを楽しめるところまで来ましたということを世界にアピールするという理念だったはずなのだが、これはどうだ?震災は東北だけではなく、広島岡山熊本福岡等いたるところで災害は毎年のように起きているが、ぶっちゃけ今が一番というか、災害真っ最中の世界なのである。どう考えても復興五輪どころではなくなってしまった。

元を正せば「原発問題はコントロール下にある」と招致活動で言っていた前総理のまやかしから始まっているのかもしれない。先の項で書いたマラソンの北海道開催もどっちらけ。東京の夏がスポーツやるのに一番いい季節だと言っていたにも拘わらず、IOCの一言で涼しい北海道への変更を、国民に諮ることもなくあっさり決定。その決定はもちろん情けないと思っていましたが、そんなもんかと思いつつ、今となっては一事が万事

とにかく、復興五輪だけでなく、あらゆる理念がぶっとんでしまった。この理念で突き進むのであれば、どうしたって今回のオリンピックは中止になる。その代替案として、コロナが終息した後に、今回の代表選手を世界中から集めた「東京スポーツ万博」みたいなものをエキシビジョン的にIOCと協力してやるとか、もっと盛り上がる何かいいアイデアありそうだけどね。

今の理念は「安心・安全」です。あまりにもだ。あまりにも何もなくなってしまった。

③「おもてなし」の準備が全くできていない。
さて、選手団の入国が始まっているが、後手後手ですべてが間に合っていない。空港検疫でのおもてなし、選手を受け入れる自治体でのおもてなし、挙句の果てに見に行ってはいけない、声をかけてもいけないというおもてなし。会場の周りは既に封鎖されているし、選手村の周りには鉄製の柵の設置工事が始まっている。せめてエンブレムの前で写真でもという淡い夢も断たれた。移動手段は限られる、選手は観光もできない。タクシー会社、旅館、飲食業、とにかく出る幕がない。とんでもない「やるやる詐欺」だと思うよ。オリンピックに向けて準備してきたものが、何一つ出来ないんだから。百歩譲ってやるならやるで、この延期した一年何を計画していたのだろう?「おもてなし」の気持ちがどこにも盛り込まれない付け焼刃の無計画。底なしにお金を使ってやってることとは思えん。出てきたものに一個も夢がないなんてことある?ただの「おもてなし」さえ出来ないなんて。

IOC会長のバッハ氏だけは広島観光するということは書いておきたい。来るというニュースと同時にこのスケジュールも発表されていたが、落ち着いたら来てくださいよでよくないかね。まさかまだ生きている計画だったとわ。ダメだなんて言えないよね。怖くて。しかも英語でね。言い返されたら何言われてるか分からないしね。言えないよ。言えない。おもてなしに反するしね。言うのやめとこう。また来てねは言えそうだな。それは言おう。

④国民の政治不信への助長がはなはだしい。
こんなにもみっともないリーダー達を国民のほとんどは今後信頼できるのだろうか。それこそ東日本大震災の時のことを思い出してほしい。この当時与党は民主党。政権交代で自民党が野党となっていた時である。最初の首相鳩山氏が「沖縄普天間基地は最低でも県外」と豪語して日米首脳会談に臨み「トラストミー」という迷言を残し、オバマ大統領と基地の話はおろか、実のある話を何もできなかったという結果と、今、IOCやスポンサーに対して、中止させてください!と言えない、菅総理と、私の中ではどっちもどっちという気持ちがしています。

当時の鳩ポッポが沖縄の人たちに適当なことを言ったということと、今のガースーが、世界中でそうなのと同じように、日本国民はコロナ禍でのオリンピックでは「おもてなし」出来る余裕が全くないんですと言えないということは、どっちかというと、今の自民党の方が信用できない。なぜなら、パンデミック下での国民の命をなんと思っているのかが問われるからだ。一部の企業や関係者の利益のためにしかならないようなオリンピックをごり押しする必要性は何か?私にはこのパンデミック下でオリンピックを強行する意味をどのように見出していいのかまったく見当もつかない。今の国のリーダーたちのジャッジの方向性が、戦時中と比較されることを目にすることが多くある。

やると言ったらやる。

しかし、戦時中は情報が制限されていたし、日清、日露、第一次世界大戦と連戦連勝、本土決戦の経験もなく、国民としては戦争やるならやれやれ!という国でした。だから、戦争を始めた責任は国民も負っていたし、辞めるわけにはいかないという時代や教育があったという経緯がありました。だからこそ、原爆が落ちる前に辞めるタイミングはなかったかとか、特攻兵器という発想まで行く必要があったのかという、歴史の検証が行われているという反省があったはずなんです。そして、今回のオリンピックですよ。時代背景が全然違う。国民は全部知っている。知らなくていい情報さえあふれかえっている。辞められないのにはお金という理由があるということも知っている。なのに、戦時中と比べられる理由は、政治家はいつの時代も自分のプライドのために誰かに頭を下げることが出来ないということが分かってしまったということだ。結局戦争が終わったのは、政治に関係のない天皇陛下が国民に謝ってくれたから、国民だけでなく、対戦国に謝ってくれたから、戦後も世界中に謝りに行ってくれたから戦争は終わったんだ。

政治家よ、オリンピックに関わるリーダーたちよ。
国民の金を使って自分のプライドを守ってどうしようというんだ。
もう一度言うと、国民の命も危険にさらしているということも分かっているのだろうか。

辞められるタイミングたくさんあったよ。ただ、そのために無駄にした時間と金は回収の方策がない。宇宙規模の無駄使いだ。バカ!阿呆!と言われても仕方がない愚行だよ。オリンピックが終わってこの借金のツケは誰が払うんだろう。社会保障費とか色々な費用が削られるってことになるのか。恐ろしい。とても恐ろしい。空港検疫のすり抜けもすでに起こっているし。そういえば、宮内庁長官のコメントもニュースになっていたが、佐藤区は天皇陛下のお気持ちも是非聞いてみたい。天皇陛下の目には今のこの狂騒はどう映っているのだろうか。政治とは関係のない祭典のことを聞いてなぜいけないのか。皮肉だ。こんなにも笑えないジョークもないよな。


ここまで書いておいてなんだが、私はオリンピックが無事に終わってくれることを祈っている。ということは始まることは受け入れている。なので、やるならこんなことどうですか?というアイデアを、最後に書いておきたいと思います。

【佐藤区が考える今回のオリンピックでやって欲しいこと】
・無観客を逆手にとって普段はできないカメラワークで選手の超人的な肉体、パフォーマンスを記録する。
・家でテレビを見ることが観戦の第一の手段となるので、過去最高の視聴率をたたき出すことを目的としたキャンペーンをはる。
・テレビ施策として、年代別や都道府県別等、最高視聴率を競って盛り上がる。
・今回の大会は金銀銅だけでなく、大変な思いをして参加してくれた全選手にメダルを授与する。
・閉会式は出来なかもしれないが、表彰式は参加選手全員で行い、記念撮影までワンパックにする。


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コロナの先に何があるのか。何もないのか。なきゃ困る!! [日々感じること]

嫁の実家から農作物が定期的に届くという幸せをいつもかみしめているのですが、その荷物の緩衝材として入っていた2010年6月7日付けの宮崎日日新聞を見つけて、タイムマシンか!と思いながら紙面を見ると、ウイルス対策うんぬん。

宮崎日日新聞.jpg

あれ?今の記事?11年まえの記事だよねえ?

読んでみると、宮崎では口蹄疫が流行していて、18万頭以上の牛、豚、ヤギ、羊が殺処分されていたことが分かる。2010年と言えば、民主党政権で、タイミング的には首相が鳩山さんから菅さんに変わろうとしていたところみたい。当時の宮崎県知事はそのまんま東さん。県に非常事態宣言を出して、ウイルスの蔓延を防ごうと畜産農家とともに国への支援要求などをしていたようです。

その日の社説を見ると、「目に見えない敵との戦いに終わりはない。徹底して自衛策を講じるだけだ。」とある。コロナ禍で宮崎が全国でも感染者が少なく推移していたのは、この時の経験があったからなのかもしれないと思う。鳥インフル、手足口病、様々なウイルスにさらされながら生きてきた日本ではあっても、その反省は全国規模の対策には結びつかなかったというのが、今回のコロナウイルス騒動なのだろう。こうなった理由は、過去のウイルス騒動から何かを学ぼうとせずに、徹底した自衛策を講じなかったからだからということは、国民一人一人が肝に銘じなければならないことなのだろう。当時は、民主党政権、今は自・公政権。さて、次はどこが何をしてくれるんだろうか。なんでだろ。今の国会のメンバーを見ても、頼りにならないんだろうなあって感じるよ。

まだまだ終わりの見えないコロナ禍ではあるが、今回の騒ぎの教訓は次の新たなウイルスの出現の時には生かされて欲しいと思う。それにしても、もう2度とオリンピックは呼ばないだろうなあ。もっと上手くやれていれば、次があったかもしれないけどね。次と言えば、日本の後手後手のせいなのか、IOCのごり押しが目立っているからなのか、今のやるやらない騒動を見ていると、今後「オリンピックをやります!!」っていう国出てくるのかね?今後の子供の夢がなくなる可能性もあるということを関係者は意識できているのだろうか?それどころじゃないのはどこの国も一緒か。っていうか、IOCは国でさえないのに凄い権力あるのね。世界的な人体実験なんだろうか?コロナ禍で独自の宇宙ステーション作るって言ってロケット飛ばした国があるけど、そもそもそこから来たウイルスだからなあ。中国4000年の歴史だわ。今の日本人でどうやって戦うのか。日本にも誇れるものあったと思うんだけど、政治家がもっていた日本人としての気概は失われてしまった。国民に対しては長老さんたちはとても威圧的なんだけどね。

口蹄疫を見てもわかるけど、10年もすれば今生まれた子供も10歳になって、今10歳の子供も20歳になって、長老たちも引退してて、またゼロから何かが始まって。こうやって疑問を抱きながらエースの出現を待ち望んでいる老兵は、言わんこっちゃないわいと年金もらいながら、何かを思っているのかもね。

どんどん暗くなるぞ!!やめたやめた!!今出来ることは、ワクチン接種を速やかに粛々と終わらせていくことだけだ。その先のことはその時に考えよう。今じゃねえ。

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ソウルフルワールドを見て感じた環境問題と世界平和 [ニュース]

「ソウルフルワールド」のネタバレがあるから気を付けて欲しいと思います。

アメリカ人がジブリの作品に触発されて作ったのかもしれん!とか感じながらくぎ付けで見てしまったよ。そのあと、しばらく心がざわついて眠れず、何に心が落ち着かないのかをゆっくり考えていたら、突拍子もなく宗教なのか哲学なのかというところに着地しました。

ポイントは映画の中に出てきた「きらめき」の正体。

世界の偉人として何度も人間として生きた22番という魂が、今回人間になって、空や風、目に見えるもの感じるものすべてにときめいて、感動して、そこに「きらめき」を感じている姿が本当に煌めいていてとても心に残った。それが答えだ。シンプルにそれだけでいい。自分のやりたいことを見つけられずに、ずっと魂のままでいた22番に、きらめきを与えたのは「自然の美しさ」なのかと思ったらすべてが片付いてしまったよ。

佐藤の家では、母親は季節ごとに花を植え替え、嫁は部屋に観葉植物を育て、犬は決まった時間に起こしに来ていつも同じように過ごし、嫁の実家からは家で採れた野菜が季節ごとに届き、春はタケノコご飯、秋には栗ご飯、毎朝空を見て天気のチェックをし、雲や月を見るのが普通の生活としてあります。「ソウルフルワールド」を見てふと気付く。自然だけはちゃんと人間の営みのそばで、コール&レスポンスを続けてくれている。なんの文句も言わずに、人間が自然に対して投げかけたものに対して、ちょうど投げられた分だけ変化しながら、毎日毎日人類にエネルギーを与えてくれている。

そんな自然に対して、人は何を返してあげられるのか。

これは環境問題の話ではない。自然という環境は何も思っていない。自然はすべてを受け入れてくれている。環境問題は、人間同士が争っている作用が反作用しているだけだ。それは誰のせいかと言えば誰のせいでもない。人間全体の責任で、環境問題は、本当は人類の平和問題と直結しているだけだという結論に達した。環境活動家で有名なグレタさんの活動は立派だと思う。ただ、いつも怒っている。いつも戦っている。あの怖い顔は、あの顔は戦っている顔だ。だとしたら、戦っている限り、環境問題は解決しない。対立は自然への影響がてきめんだ。

人類が地球上に誕生してからいままで、戦争がなくなったことはない。何故戦争はなくならないのか。何故人間は、領土を、人種を、民族を分けたがるのか。金儲けもそう。何もかも全部対立の中に人類は生きている。いじめもそう。承認欲求もそう。誰かより優位に立ちたいのが人間の性であるのは間違いないようだ。そりゃ争いはなくならないよ。より熟成された対立の構造が年々生まれていっているだけなんだろうと思う。21世紀ともなれば、より高度な戦いが世界中で熟成されるということなのだろう。戦いがあるから平和への欲求もある。これも作用反作用。「争わない方がいい」というところにすべての答えがあることなんかとっくの昔に分かっていたはずなのに、違う答えを見つけることで、誰かの優位に立ちたいということなのだろう。環境問題も、各国がCO2の削減目標を掲げて頑張っているが、そんなことが本当に自然の望んでいることだとはとても思えない。無理やり脱炭素化しても、きっとその反作用がどこかで起こっているはずだ。さて、どうしたらいいのか。

人間は争う生き物だ。

という前提を辞める努力をしてみたらどうだろう。

週一回は争いをやめて、世界に感謝する日を作ればいいんだ。

なんて書いていたら、キリスト教じゃねーか!って俺が突っ込んでいるよ。ほら、とっくの昔に答えは出てたじゃねーか!そういう意味では、世界の宗教は正しい。争わない。そこに答えはある。でも争いはなくならない。選挙だってあれ、民主主義って言いながら、圧倒的に勝ち負けの世界だもんね。

選挙という争いを一度辞めてみたらいい。

あ!

民主的な選挙が存在しない共産党の国が正しいのか?

軍拡している中国を見ていると、争いをなくそうとしているとは思えない。

じゃあ軍備を放棄すればいい。

!!

世界中を見ても、軍隊を持たない国というのは珍しい個性なんだよ。武力を放棄している日本はそもそも戦うすべがないのよ。やられたらやられちゃうのよ。だから、いっそ、自衛隊やアメリカに守ってもらうこともやめて、攻められたら抵抗することもやめて、世界平和が一番の環境問題の解決策だっていう活動をしてみるっていうのはどうだろう?

人間が争うのは仕方ない。人間はそんなに上等じゃない。ただ、国同士の戦争はそろそろやめにして、地球の自然環境を守っていくということで協力してみてはどうだろう。この雑観は、そんなところに、日本の向かう先はあるかもなってところで一回お開きということにします。ふー。
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女性の社会進出とか少子化とか高齢化とか [日々感じること]

あらゆる場面で性差をなくしていこうという考え方は21世紀らしいのかと思うが、子供を産める能力は大昔から女子にしかない能力であって、それは今後もどうやら変わりそうもない。そして世界中が抱える問題として少子化問題があると思うのだが、日本では、少子化をどう考えるのか?

これまで佐藤は、子供が減っている理由は一人っ子が増えたからだと思っていた。実は、結婚した夫婦が産む子供の数で一番多いのは2人で、やっと最近3人以上を1人が上回ったところだと知って、ちょっと待てよと思ったわけです。何で子供の数は減っているのよ?

これは、晩婚化と非婚化が進んでいるからなんだという結論のようです。子供を産む人の人数が減っているということです。じゃ、なんで晩婚化、非婚化が進むのか?

自分が子供を産む能力を発揮するよりも、社会でバリバリ働きたいと思っている女性が多いということがある。そして、そういう社会にしよう!!って国民が運動してきたという歴史もある。もちろん子供を産みやすい企業が増えて行く途中なのかもしれないが、コロナ禍の日本社会を見ていても、そこに力を割きながら、戻って来たお母さんのポジションも確保しながら、経営を維持して行ける会社はなかなか増えそうにない。佐藤区ではそう分析します。この社会の流れは長い時間をかけて作って来たものなので、なかなかに変わらないだろう。テレビを付けても女性問題は週一では取り上げられる問題だよね。だとすると、少子化問題はしばらくは解消しない問題だという結論です。ぶっちゃけ日本の総人口ってどのくらいが丁度いいのかね?そういう計算ってどうやるんだろ?

少子化と同じタイミングで語られる問題に、高齢化という問題がある。老化しないまま寿命が延びればいいのかもしれないですけど、いまのところのテクノロジーでは、やっぱり年をとると人は弱っていくようだ。高齢化が進むとどうなるのか?

・病院を使う人が増える
・国民医療費が上がる
・年金給付などの社会保障費も上がる
・社会保障財源として、若年層が負担する社会保険料も上がる

どうやら金がかかりそうだ。医療技術や薬の開発、食生活の改善によって体の寿命はどんどん延びている。人間とは長生きしたい生き物であるから、高齢化というか、長寿命の傾向を止めるすべはない。ただ、脳の寿命は体よりも早く来てしまうのか、認知症という介護を絡めた問題も現れてきている。そして、子供は年々減っている。国の財政はとにかく膨らむ一方の赤字経営。子孫の世代に借金を背負わすわけには行かないと言ってはみたものの、ここまでの過程を見ると、これから生まれてくる貴重な子供たちは、税金を払うことを厭わない人間に育てないと国がもちそうもない。さらに最近の国会をみていると、コロナで病床が足りないという話の横で、医者や病院を減らそうっていう話もしている。俺にはこの方程式の答えが分からない。

そろそろ国はこの国の向かう先を示すべきなんじゃないか?佐藤区にこんなことを言われている場合ではないぞ。少子高齢化問題も、問題なんだから解決した方がよさそうだと思うのだが、今の流れだと、解決にはまるで向かってない。だとしたら問題というほどでもないということか?ふーーん。そりゃ難しすぎて多くの人は解決してから考えようってなるわな。一事が万事この調子。「どうしようとしているのか分からないから、とりあえず自分の持つ権利を存分に使って、少なくとも長生き出来たらいいな」って、国民は考えても仕方ないなと思う。

軸が欲しいよね。もう少し国民の見据えるべき将来の日本像という軸がね。目指すところがあるから人は頑張れるよね。病気をねじ伏せた水泳の池江や、怪我を超えて復活したメジャーの大谷を見ていると本当にそう思う。目標に向かって諦めずに前を向く姿を見習おう。国民全員が目指せる目標を一つでも何か言いだしてくれないかなあ。

コロナではだめだったけど、国民が一つのことに向かって「ほら、日本人でよかっただろ」って、子供に自慢できるような何かないかね。



ミャンマーの軍事政権と戦うだな。建前上武力を持たない国がミャンマー軍の暴挙を全力で止めるだな。コロナで大した政策ももうないようだから、国際政治に打って出よう。なぜ軍隊が日本にいないのかの意味を世界に示そう。それだな。

何かを書きゃいいってもんじゃないよね。さて仕事しよっと。

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