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「広島ビジョン」はどう考えても間違えている [日々感じること]

広島にルーツを持つ総理大臣が、広島の地でぶち上げた「広島ビジョン」のおぞましさを、どういう訳かほとんどの日本人がスルーしているという異常事態をどう受け止めればいいのか。世界の中で原子爆弾が落とされた町は日本の広島と長崎の二つだけ。広島にルーツを持つ岸田家。一族の多くが被爆しているという、そのアイデンティティの元で政治家になり、広島の声を誰よりも大きな声で言うことのできる政治家が総理大臣になったことの意味よ。その男はサミットの議長になり、広島、長崎だけでなく日本人の総意として核兵器への思いを語る立場にあった。そこで出てきた「広島ビジョン」。広島の名前の付いた宣言で核兵器の必要性をうたっているという残酷さ。ロシアや中国が核を捨てると本気で思っているのか。そんな中で核兵器のない世界を目指すとは何をすることなのか。ウクライナへの侵略も止められない世界秩序をどう見ればよいのか。威嚇として持つなら、威嚇としてこっちも持つということを抑止力と言っているならば、核兵器はずっとなくならないということになる。結局「抑止力において必要」というのは詭弁ということだ。今後、誰かが核を使おうが使うまいが、万が一核兵器が使われたら、その責任は「核兵器は必要だ」と言ってしまった被爆国日本にある。どっちみちゴールの見えない核理論のなかで、誰が必要だと言っても、日本人だけは必要ないと言うべきだった。その絶好の機会をみすみす逃した上、今の政権である限り、日本が核兵器禁止条約を批准することは完全にないということがはっきりした。意気地のない話だな。確かに、核兵器の必要性、武力の保持を言い続ける学者、評論家はたくさんいるが、結論は、ロシアの戦争が終われば、ようやく核兵器のいらない世界が来るかもしれませんということなんだな。終わりの見えない侵略戦争がいつ終わると思っているのだろう。終わらないのだとしたら、どうせ日本がロシアの侵略戦争の終結に一役買うことなんかないんだから、だからこそ、どうせ必要のなくなる武器に対して予算をつぎ込むのではなく、他の異次元のなんちゃらとかに回してみたらよかろうと思う。他の予算を擲ってまで軍事費に予算を回すという発想は私にはない。ウクライナの復興に向けて支援するということで十分だと思う。その時こそ震災大国日本の出番なんだと思う。

私は30代になったころから昭和の戦争に興味を持ち勉強を続けているが、なぜ日本中が戦争に熱狂していったのか、当時何が人を戦争に向かわせたのか、日本史のなかの敗戦の意味合いを戦死した先祖を持つ日本人として、自分なりに知っておきたかったというのがあったと思う。そんな中で、太平洋戦争の軍人の記録を照会することが出来るということを知って、戦死した祖父の記録を取り寄せたことがある。私の祖父は乾物屋で、30代のころ徴兵されてグアムの地で戦死したようだ。記録というものがとてもリアルだった。祖父のことをある意味でとても身近に感じた。そんな祖父は、子供の手を引く祖母を基地のそばに呼び出して、日本は負けるから疎開するようにと、子供たちのことは頼むと、そう言って戦地に向かったと、そんなことがあったという話だけは父に聞いたことがあるが、当時の日本人の心理を思うと、生き残った人たちが戦争のことを語りたがらない理由が分かってきたような気がしている。なぜ「万歳万歳」と夫や息子を戦地に送り出してしまったのか、仲間は何のために死んでいったのか、なぜ自分は生き残ってしまったのか。生き残った人たちは全員、直接的間接的にかかわらず、人を殺したという思いを抱えていたはずだ。生き残った人たちが語ろうとしない理由は、自分には語る資格がないと考えていたか、語る意味がないと思っていたからなのかもしれない。そして思う。昭和の戦争にもし意味を持たせることが出来るとしたらただ一つ。核兵器は絶対に使ってはならないということだけだと。抑止力だろうが何だろうが使ってはいけないということを唯一言える国が地球上に生まれたという点に集約できると思う。

もうすぐ戦争が終わって80年になる。特攻に志願して待機していた中で終戦を迎えた方のインタビュー記事を読んだ。裏千家元家元の千玄室氏。今でも世界平和のための活動を続けてらっしゃるのだが、今の日本人の生活を見て「あの時死んでいればよかったとさえ思う」と言っていたのが衝撃的で。とても苦しくて。私たちは100歳を越えた先輩に、なんてことを言わせているんだと愕然とする思いになった。今のままの日本でいい訳がない。核兵器を認める政治家が総理大臣でいい訳がない。という私の思いが気が付けばマイノリティであるというのは民主主義国家の国民として、自分の生き方に対する結果なんだと、仕方ない、受け止めようと思う。元総理の射殺事件。現職総理の爆弾テロ未遂。白昼堂々の強盗殺人事件。記事を書いているうちにも、自衛官の発砲殺人事件が起きている。一年のうちにこんなに凄い事件が立て続けに起きるものかと。改めてこれが今の日本なんだな。

さて、あなたはどっちの人間だ。どっちにしても日本人として何を思うのか。せめて日本人として日本のことを考えてみて欲しいと思う。

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オリンピックを中止するのは簡単だけど、やるというのであれば [日々感じること]

オリンピックが始まっているが、オリンピックを開催する・しないという問題が今でも新聞の紙面に載ってくる。でも、やらないというのは戦争でも始まればやれる訳がないんだから、中止はいつでも出来ると思うんです。で、結局はやるということで全体が動いて、天皇陛下が開会を宣言したんです。今からごねても仕方がない。やっておかなきゃいけなかったのは、ここまで来るまでの間に、「オリンピックを開催するためにはここまで準備しておかなければならない」ということを、与党も野党も知恵を出し合っておくべきだったと思うがどうだろう。それをせずに反対派のやっていることはと言えば、署名が何名分あります!!とか、うちの党は賛成しません!!と大きな声で言うことだけだったでしょ。結果、やる派やらない派のどっちの政治家も痛くも痒くもないし、ましてや中止を言うことで都議選で票が伸びたとまで言っている。まったく。今大事なのは票じゃねえ。命がけでオリンピックを止めるという行動だったのに。結局のところ話し合いなんだってよ。陳情は上げました!ってよ。知らんわ。生活が全く痛まない政治家さんたちのパフォーマンスに時間を取られて、とにかく今苦しい人たちが少しも浮かばれいていない現状をどうするつもりか。コロナで死んでいった人たちの命がないがしろにされ過ぎている現実にどう折り合いを付けられるのか皆目見当もつかない。なので、政治家に期待するのは辞めました。もう全てが手遅れです。志村けんさんの死はどこにも響かなかったということです。

オリンピックとコロナの問題はちゃんと考えておかないと、オリパラが終わって、ワクチン接種が進んでしまったら、うやむやにごまかされちゃいそうだから一回まとめます。ゆっくり冷静に考えて欲しいのは、オリンピックをやる・やらないの問題と、コロナを抑え込むという問題は、圧倒的に別問題だということです。なのに、うっかりしていると、ゴールが同じところにあるように見えちゃって困る。何がどう違うのかを確認してみたい。

まずは「コロナだからやれない」というところから見てみる。これは、国民への感染を防ぐことが第一になっているパターン。最初からこれしかなかったはずなのよ。一回、オリンピック開催に向けて時間や金、知恵を使うのはやめるという考え方。これは、今すぐにでもやれるんだろうけれども、もう始まってしまったけれども、1年前、オリンピック延期で出来た貴重な時間的猶予を、感染対策のために死に物狂いで有効活用すればよかったのにと思う。そうしなかった結果の今ですよ。その状態で、オリンピックをやるっていうこと自体、死人が出るかもしれないという頭がないってことだもんね。絶対に死なせないという覚悟もまるで見えないし、どう考えてもうちのリーダー達は気が狂っている。ということで、「コロナだからやらない」という考えは採用されないまま今に至っているわけだ。

それならばということで「コロナでもやる」という、日本が選んだハードルの高いミッションを考えてみたい。例えばどんな作戦があるのか考えてみると、
①ワクチンや特効薬の開発から何から、世界一の感染対策を講じて、なんとかしてオリンピック開催を実現する。
②とてつもない外交手腕を発揮して、ワクチン手配を実現して、世界一のワクチン接種率を達成した(達成見込みが立った)から、安心安全なオリンピックに世界中の人を呼ぶことができる。

これのどっちかしか、オリンピック開催に向かうことを許される作戦はないのではないだろうか。しかし日本のやっていることはと言えば、

①国民への感染防止対策と、オリンピックの開催には関係がないから別々のアプローチでコロナ対策とオリンピックをやる。
②大きな声では言わないが、感染が増えても(たとえ死者が出ても)、辞められない理由があるからオリンピックはやるしかない。
③有観客ではどうだ。
④無観客ならどうだ。
⑤契約だからしかたがない
⑥だって絆だから。

オリンピックをやると言いながらやっていることはこれですよ。他にもマスク2枚配りましたよ!ってことは恥ずかしくて書かなかったけど、この程度の感染対策で国民を説得出来ていると思っているのかいないのか。今のところの日本のコロナ対策を見てみると、ぶっちゃけ0点に近い。佐藤の50年の物事の判断基準で見ても本当に点数が付けられない。リーダーと呼ばれる人たち(政治家とか永田町近辺で色んな決め事している人たち)が、職場との往復を徹底するという誰でも出来ることをしていないというのもあるし、そもそも対策らしい対策が見えない。外国の企業が作ったワクチンをそろそろ余って来たようだから、日本にも回してもらえませんかねという作戦は、作戦と言うには余りにも他力本願で、点が付けられる代物とは思えません。しかもオリンピックを控えて、どこよりもワクチンが欲しかった国の作戦としては0点と言わざるを得ない。そもそもオリンピックに気が向いていなかったのか、コロナをなめていたのか。あ!ここだね。パンデミックという世界的緊急事態のときに国に危機感がなかったのが日本です。ダイヤモンドプリンセス号でのクラスター対策もそう、最初の緊急事態宣言の後にGO-TOという企画に時間と金をつぎ込んだのもそう。緊急事態という認識がとにかく甘かった。それによって何が起きたかというと、感染の拡大です。世界的なパンデミックという緊急事態が続いている中、水際対策も徹底されないままに旅行どうぞという政策をぶち上げた日本。今、何度目かの緊急事態宣言が出たとして、国民に対して緊急事態だと思って行動して欲しいというのは余りにも説得力がなさすぎる。今更何を言っても、仕方ないかと耳を貸してくれる人が増えるとはとても思えん。

それにしても、オリンピックさえなければ、たとえ0点のコロナ対策だったとしても、じっとコロナの終息を待つだけでよかったのに、オリンピックは止めないという方針が続いてしまった。だからもう「コロナだからやらない」という選択肢は考えても意味がない。今からコロナを理由に開催を中止にしようと叫んでも遅い。ここに来るまでに止めなきゃいけなかったんだ。反対の声を上げるだけの野党にも、もううんざりだ。声を上げるだけなら誰でも出来る。国会議事堂の中にいられる人間が、どうしても中止してくださいと、直接議論をしても止められなかったということは、今の与党を止めることの出来る政治家が与野党の中に誰もいないということだ。とにかく政治家には何かを期待しても仕方がない。何も出来ないということが証明されてしまった。何でこんなにもオリンピックにこだわる必要があったのか。未だ明確な説明は受けていない。得意の「国民のみなさまに丁寧にご説明します」詐欺だ。

そしてこんな愚策しか出てこない政府の中に、まさか次の選挙があると思い込んでいる節があるのが気持ち悪い。政治家だけでなく、マスコミもニュースの中で総選挙という言葉を発しているが、なんとも、どうかしていると思わざるを得ない。こんなにも愚策しかない与党に信頼を寄せてくれる国民がいると本気で思っているのか。まあ、与党に甘い汁を吸わせてもらっている一部の支持者がいるんだろうから少しは支持率あるんだろうとは思う。こんな国民のことをないがしろにしている永田町の住人に、まさかもう一度期待する国民がいるのだと本当に思っているのだとしたら、ちょっと待ってもらいたい。いくらなんでも国民をバカにし過ぎだ。正直、選挙権の使い道に窮してしまっている。投票する以外の選挙権の使い方はないものだろうか。全員クビに出来るような審判のために使える権利にならないものか。比例政党を書く欄に「該当政党なし」と書くとどうなるのか。せめて、安倍さんや麻生さんが議員になれないようにする方法はないものなのか誰か教えて欲しい。あの人たちはとにかく下品過ぎて表に出てきて欲しくないと考える。

俺は今という時代を恐ろしく感じる。近畿財務局の赤木俊夫さんみたいな人が死ななきゃいけないような令和の政治のなんとも恐ろしいことか。今こそ赤木さんに生きていて欲しかった。赤木さんみたいに、国民のために仕事をしていると大きな声で言える人にこそ、政治の中枢で活躍して欲しかった。赤木イズムこそ今必要な価値なんだと思う。派遣社員という身分の佐藤区区長の最新のお手本は赤木俊夫さんです。

話が散らかりましたが、とにかく、コロナ禍のオリンピックは、
「コロナ対策をここまでやってるからやる」、もしくは「コロナ対策がここまでしかできてないからやらない」というコロナ対策ありきの、この二つの作戦しかなかったはずなんだ。なので、やれることを全部やってもいない上でのオリンピック開催議論は、コロナ禍において意味をなさないというのが答えだ。最後に、今まで出てきたオリンピックをやる上でのベースとなっているであろうスローガンを載せておきたい。

招致のスローガン(2012年)
「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」

IOC総会での安倍首相のスピーチ(2013年)
「Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,the situation is under control.」(フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています)

JOC「がんばれ!ニッポン!全員団結プロジェクト」(2019年)
「心をひとつに、全員団結! さあ、いくぞ。がんばれ!ニッポン!」

開催延期決定後の安倍首相の会見(2020年)
「人類が打ち勝った証として来年の東京五輪を完全な形で開催する決意だ」

日東京五輪・パラリンピック組織委員会(2020年2月17)
「United by Emotion(感動で、私たちは一つになる)」

閣議決定後の丸川珠代五輪相の会見(2021年5月11日)
「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」

緊急事態宣言の延長発表の菅首相の会見(2021年5月7日)
「安心、安全なオリンピック」

空しい。空しすぎる。オリンピックは出来なかったが、コロナ終息後に、それに代わる世界規模のスポーツ・文化イベントを日本中でやることを企画するなどの知恵を振り絞った方が、楽しくなったんじゃないかなって思うけど後の祭り。今の段階まで来たら、もう人のことは構っていられない。粛々と家と職場との往復を徹底して、オリンピックを家でビールでも飲みながら精一杯テレビ観戦して、なんとかコロナから逃げ切りたい。選手村やオリンピック関係者の中から感染者が確認されているが、ここから先はオリンピックに関係する当事者たちだけでなんとか凌いで欲しい。破れたバブルの責任は責任者にきっちり取ってもらいましょう。

佐藤区では、オリンピックで活躍している選手たち全員をちゃんと応援していきます。

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コロナ禍のオリンピックをちゃんと考える。 [日々感じること]

佐藤区が考えるコロナ禍のオリンピックの問題点を整理しておきたい。

ここまで来たら止まらないのだろうし、選手はやる気になっているのだから水を差すつもりもないのだが、どう考えても今年オリンピックをやることは間違いだと思うので、始まる前に頭の中を整理しておきたいと思う。

①予算が膨れ上がっている
当初「世界一コンパクトなオリンピック」という触れ込みだったはずが、国立競技場の建設から予算は膨れ上がり、マラソンのために道路の塗料とかいろいろ整備したにも関わらず、夏の東京は暑いという理由で北海道になったり、まあーー、おかしな追加予算がかさんでいるのは確かだ。そこに来てコロナ対策費。去年の12月23日付けのBBCニュースの記事によると、当初予定していたオリンピック関連予算は1年の延期と、コロナ対策という追加予算により、総額は昨年公表された予算から2940億円増え、1兆6440億円に膨らみ、この時点で過去最大規模の夏季オリンピック大会になることが分かっている。あれから7か月。予算が減る余地はなく、国民参加が制限される中で、一体どの規模でこの大会は運営されて行くのか。少しでもお小遣い帳を付けたことのある国民であれば、もはや、使える公費などどこにもないことは誰でも分かる。なぜなら、金の出どころは税金とスポンサーから調達したお金であり、経済の混迷で今後税収は減り、チケット収入の減、観客数制限による、物販収入、飲食収入の減等、プラスの要素が見えない中、お金もないのにどうやって使うんだと、もはや恐怖しか生まれない。そして一番問題なのは、お金をかける意味が誰からも語られていないことだ。これだけ大きなお金を使うのであれば、コスパに関して誰か納得のいく話を聞かせていただきたい。さらに同じ記事では、

“武藤事務総長は、新型ウイルスの流行が世界で続く中での大会開催は、新型ウイルスとの共生が可能なことを意味すると説明。
「1つのスタンダード、ロールモデルを示す上で意味があるのではないか」と述べた。“

とあるが、コロナウイルスとの共生のどこが可能なのかの説明がされる必要があるだろう。一応書いておくが、6月30日の東京の新規感染者は714人。一週間前からどんどん増えている様子。明日はどうなることやら。「安心・安全」からは遠ざかっていくばかりに見えるのは私だけではないはずだ。

②復興五輪という理念が消滅してしまった。
2011年から10年。東北の人たちが自分達の生活を立て直していって、オリンピックを楽しめるところまで来ましたということを世界にアピールするという理念だったはずなのだが、これはどうだ?震災は東北だけではなく、広島岡山熊本福岡等いたるところで災害は毎年のように起きているが、ぶっちゃけ今が一番というか、災害真っ最中の世界なのである。どう考えても復興五輪どころではなくなってしまった。

元を正せば「原発問題はコントロール下にある」と招致活動で言っていた前総理のまやかしから始まっているのかもしれない。先の項で書いたマラソンの北海道開催もどっちらけ。東京の夏がスポーツやるのに一番いい季節だと言っていたにも拘わらず、IOCの一言で涼しい北海道への変更を、国民に諮ることもなくあっさり決定。その決定はもちろん情けないと思っていましたが、そんなもんかと思いつつ、今となっては一事が万事

とにかく、復興五輪だけでなく、あらゆる理念がぶっとんでしまった。この理念で突き進むのであれば、どうしたって今回のオリンピックは中止になる。その代替案として、コロナが終息した後に、今回の代表選手を世界中から集めた「東京スポーツ万博」みたいなものをエキシビジョン的にIOCと協力してやるとか、もっと盛り上がる何かいいアイデアありそうだけどね。

今の理念は「安心・安全」です。あまりにもだ。あまりにも何もなくなってしまった。

③「おもてなし」の準備が全くできていない。
さて、選手団の入国が始まっているが、後手後手ですべてが間に合っていない。空港検疫でのおもてなし、選手を受け入れる自治体でのおもてなし、挙句の果てに見に行ってはいけない、声をかけてもいけないというおもてなし。会場の周りは既に封鎖されているし、選手村の周りには鉄製の柵の設置工事が始まっている。せめてエンブレムの前で写真でもという淡い夢も断たれた。移動手段は限られる、選手は観光もできない。タクシー会社、旅館、飲食業、とにかく出る幕がない。とんでもない「やるやる詐欺」だと思うよ。オリンピックに向けて準備してきたものが、何一つ出来ないんだから。百歩譲ってやるならやるで、この延期した一年何を計画していたのだろう?「おもてなし」の気持ちがどこにも盛り込まれない付け焼刃の無計画。底なしにお金を使ってやってることとは思えん。出てきたものに一個も夢がないなんてことある?ただの「おもてなし」さえ出来ないなんて。

IOC会長のバッハ氏だけは広島観光するということは書いておきたい。来るというニュースと同時にこのスケジュールも発表されていたが、落ち着いたら来てくださいよでよくないかね。まさかまだ生きている計画だったとわ。ダメだなんて言えないよね。怖くて。しかも英語でね。言い返されたら何言われてるか分からないしね。言えないよ。言えない。おもてなしに反するしね。言うのやめとこう。また来てねは言えそうだな。それは言おう。

④国民の政治不信への助長がはなはだしい。
こんなにもみっともないリーダー達を国民のほとんどは今後信頼できるのだろうか。それこそ東日本大震災の時のことを思い出してほしい。この当時与党は民主党。政権交代で自民党が野党となっていた時である。最初の首相鳩山氏が「沖縄普天間基地は最低でも県外」と豪語して日米首脳会談に臨み「トラストミー」という迷言を残し、オバマ大統領と基地の話はおろか、実のある話を何もできなかったという結果と、今、IOCやスポンサーに対して、中止させてください!と言えない、菅総理と、私の中ではどっちもどっちという気持ちがしています。

当時の鳩ポッポが沖縄の人たちに適当なことを言ったということと、今のガースーが、世界中でそうなのと同じように、日本国民はコロナ禍でのオリンピックでは「おもてなし」出来る余裕が全くないんですと言えないということは、どっちかというと、今の自民党の方が信用できない。なぜなら、パンデミック下での国民の命をなんと思っているのかが問われるからだ。一部の企業や関係者の利益のためにしかならないようなオリンピックをごり押しする必要性は何か?私にはこのパンデミック下でオリンピックを強行する意味をどのように見出していいのかまったく見当もつかない。今の国のリーダーたちのジャッジの方向性が、戦時中と比較されることを目にすることが多くある。

やると言ったらやる。

しかし、戦時中は情報が制限されていたし、日清、日露、第一次世界大戦と連戦連勝、本土決戦の経験もなく、国民としては戦争やるならやれやれ!という国でした。だから、戦争を始めた責任は国民も負っていたし、辞めるわけにはいかないという時代や教育があったという経緯がありました。だからこそ、原爆が落ちる前に辞めるタイミングはなかったかとか、特攻兵器という発想まで行く必要があったのかという、歴史の検証が行われているという反省があったはずなんです。そして、今回のオリンピックですよ。時代背景が全然違う。国民は全部知っている。知らなくていい情報さえあふれかえっている。辞められないのにはお金という理由があるということも知っている。なのに、戦時中と比べられる理由は、政治家はいつの時代も自分のプライドのために誰かに頭を下げることが出来ないということが分かってしまったということだ。結局戦争が終わったのは、政治に関係のない天皇陛下が国民に謝ってくれたから、国民だけでなく、対戦国に謝ってくれたから、戦後も世界中に謝りに行ってくれたから戦争は終わったんだ。

政治家よ、オリンピックに関わるリーダーたちよ。
国民の金を使って自分のプライドを守ってどうしようというんだ。
もう一度言うと、国民の命も危険にさらしているということも分かっているのだろうか。

辞められるタイミングたくさんあったよ。ただ、そのために無駄にした時間と金は回収の方策がない。宇宙規模の無駄使いだ。バカ!阿呆!と言われても仕方がない愚行だよ。オリンピックが終わってこの借金のツケは誰が払うんだろう。社会保障費とか色々な費用が削られるってことになるのか。恐ろしい。とても恐ろしい。空港検疫のすり抜けもすでに起こっているし。そういえば、宮内庁長官のコメントもニュースになっていたが、佐藤区は天皇陛下のお気持ちも是非聞いてみたい。天皇陛下の目には今のこの狂騒はどう映っているのだろうか。政治とは関係のない祭典のことを聞いてなぜいけないのか。皮肉だ。こんなにも笑えないジョークもないよな。


ここまで書いておいてなんだが、私はオリンピックが無事に終わってくれることを祈っている。ということは始まることは受け入れている。なので、やるならこんなことどうですか?というアイデアを、最後に書いておきたいと思います。

【佐藤区が考える今回のオリンピックでやって欲しいこと】
・無観客を逆手にとって普段はできないカメラワークで選手の超人的な肉体、パフォーマンスを記録する。
・家でテレビを見ることが観戦の第一の手段となるので、過去最高の視聴率をたたき出すことを目的としたキャンペーンをはる。
・テレビ施策として、年代別や都道府県別等、最高視聴率を競って盛り上がる。
・今回の大会は金銀銅だけでなく、大変な思いをして参加してくれた全選手にメダルを授与する。
・閉会式は出来なかもしれないが、表彰式は参加選手全員で行い、記念撮影までワンパックにする。


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コロナの先に何があるのか。何もないのか。なきゃ困る!! [日々感じること]

嫁の実家から農作物が定期的に届くという幸せをいつもかみしめているのですが、その荷物の緩衝材として入っていた2010年6月7日付けの宮崎日日新聞を見つけて、タイムマシンか!と思いながら紙面を見ると、ウイルス対策うんぬん。

宮崎日日新聞.jpg

あれ?今の記事?11年まえの記事だよねえ?

読んでみると、宮崎では口蹄疫が流行していて、18万頭以上の牛、豚、ヤギ、羊が殺処分されていたことが分かる。2010年と言えば、民主党政権で、タイミング的には首相が鳩山さんから菅さんに変わろうとしていたところみたい。当時の宮崎県知事はそのまんま東さん。県に非常事態宣言を出して、ウイルスの蔓延を防ごうと畜産農家とともに国への支援要求などをしていたようです。

その日の社説を見ると、「目に見えない敵との戦いに終わりはない。徹底して自衛策を講じるだけだ。」とある。コロナ禍で宮崎が全国でも感染者が少なく推移していたのは、この時の経験があったからなのかもしれないと思う。鳥インフル、手足口病、様々なウイルスにさらされながら生きてきた日本ではあっても、その反省は全国規模の対策には結びつかなかったというのが、今回のコロナウイルス騒動なのだろう。こうなった理由は、過去のウイルス騒動から何かを学ぼうとせずに、徹底した自衛策を講じなかったからだからということは、国民一人一人が肝に銘じなければならないことなのだろう。当時は、民主党政権、今は自・公政権。さて、次はどこが何をしてくれるんだろうか。なんでだろ。今の国会のメンバーを見ても、頼りにならないんだろうなあって感じるよ。

まだまだ終わりの見えないコロナ禍ではあるが、今回の騒ぎの教訓は次の新たなウイルスの出現の時には生かされて欲しいと思う。それにしても、もう2度とオリンピックは呼ばないだろうなあ。もっと上手くやれていれば、次があったかもしれないけどね。次と言えば、日本の後手後手のせいなのか、IOCのごり押しが目立っているからなのか、今のやるやらない騒動を見ていると、今後「オリンピックをやります!!」っていう国出てくるのかね?今後の子供の夢がなくなる可能性もあるということを関係者は意識できているのだろうか?それどころじゃないのはどこの国も一緒か。っていうか、IOCは国でさえないのに凄い権力あるのね。世界的な人体実験なんだろうか?コロナ禍で独自の宇宙ステーション作るって言ってロケット飛ばした国があるけど、そもそもそこから来たウイルスだからなあ。中国4000年の歴史だわ。今の日本人でどうやって戦うのか。日本にも誇れるものあったと思うんだけど、政治家がもっていた日本人としての気概は失われてしまった。国民に対しては長老さんたちはとても威圧的なんだけどね。

口蹄疫を見てもわかるけど、10年もすれば今生まれた子供も10歳になって、今10歳の子供も20歳になって、長老たちも引退してて、またゼロから何かが始まって。こうやって疑問を抱きながらエースの出現を待ち望んでいる老兵は、言わんこっちゃないわいと年金もらいながら、何かを思っているのかもね。

どんどん暗くなるぞ!!やめたやめた!!今出来ることは、ワクチン接種を速やかに粛々と終わらせていくことだけだ。その先のことはその時に考えよう。今じゃねえ。

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女性の社会進出とか少子化とか高齢化とか [日々感じること]

あらゆる場面で性差をなくしていこうという考え方は21世紀らしいのかと思うが、子供を産める能力は大昔から女子にしかない能力であって、それは今後もどうやら変わりそうもない。そして世界中が抱える問題として少子化問題があると思うのだが、日本では、少子化をどう考えるのか?

これまで佐藤は、子供が減っている理由は一人っ子が増えたからだと思っていた。実は、結婚した夫婦が産む子供の数で一番多いのは2人で、やっと最近3人以上を1人が上回ったところだと知って、ちょっと待てよと思ったわけです。何で子供の数は減っているのよ?

これは、晩婚化と非婚化が進んでいるからなんだという結論のようです。子供を産む人の人数が減っているということです。じゃ、なんで晩婚化、非婚化が進むのか?

自分が子供を産む能力を発揮するよりも、社会でバリバリ働きたいと思っている女性が多いということがある。そして、そういう社会にしよう!!って国民が運動してきたという歴史もある。もちろん子供を産みやすい企業が増えて行く途中なのかもしれないが、コロナ禍の日本社会を見ていても、そこに力を割きながら、戻って来たお母さんのポジションも確保しながら、経営を維持して行ける会社はなかなか増えそうにない。佐藤区ではそう分析します。この社会の流れは長い時間をかけて作って来たものなので、なかなかに変わらないだろう。テレビを付けても女性問題は週一では取り上げられる問題だよね。だとすると、少子化問題はしばらくは解消しない問題だという結論です。ぶっちゃけ日本の総人口ってどのくらいが丁度いいのかね?そういう計算ってどうやるんだろ?

少子化と同じタイミングで語られる問題に、高齢化という問題がある。老化しないまま寿命が延びればいいのかもしれないですけど、いまのところのテクノロジーでは、やっぱり年をとると人は弱っていくようだ。高齢化が進むとどうなるのか?

・病院を使う人が増える
・国民医療費が上がる
・年金給付などの社会保障費も上がる
・社会保障財源として、若年層が負担する社会保険料も上がる

どうやら金がかかりそうだ。医療技術や薬の開発、食生活の改善によって体の寿命はどんどん延びている。人間とは長生きしたい生き物であるから、高齢化というか、長寿命の傾向を止めるすべはない。ただ、脳の寿命は体よりも早く来てしまうのか、認知症という介護を絡めた問題も現れてきている。そして、子供は年々減っている。国の財政はとにかく膨らむ一方の赤字経営。子孫の世代に借金を背負わすわけには行かないと言ってはみたものの、ここまでの過程を見ると、これから生まれてくる貴重な子供たちは、税金を払うことを厭わない人間に育てないと国がもちそうもない。さらに最近の国会をみていると、コロナで病床が足りないという話の横で、医者や病院を減らそうっていう話もしている。俺にはこの方程式の答えが分からない。

そろそろ国はこの国の向かう先を示すべきなんじゃないか?佐藤区にこんなことを言われている場合ではないぞ。少子高齢化問題も、問題なんだから解決した方がよさそうだと思うのだが、今の流れだと、解決にはまるで向かってない。だとしたら問題というほどでもないということか?ふーーん。そりゃ難しすぎて多くの人は解決してから考えようってなるわな。一事が万事この調子。「どうしようとしているのか分からないから、とりあえず自分の持つ権利を存分に使って、少なくとも長生き出来たらいいな」って、国民は考えても仕方ないなと思う。

軸が欲しいよね。もう少し国民の見据えるべき将来の日本像という軸がね。目指すところがあるから人は頑張れるよね。病気をねじ伏せた水泳の池江や、怪我を超えて復活したメジャーの大谷を見ていると本当にそう思う。目標に向かって諦めずに前を向く姿を見習おう。国民全員が目指せる目標を一つでも何か言いだしてくれないかなあ。

コロナではだめだったけど、国民が一つのことに向かって「ほら、日本人でよかっただろ」って、子供に自慢できるような何かないかね。



ミャンマーの軍事政権と戦うだな。建前上武力を持たない国がミャンマー軍の暴挙を全力で止めるだな。コロナで大した政策ももうないようだから、国際政治に打って出よう。なぜ軍隊が日本にいないのかの意味を世界に示そう。それだな。

何かを書きゃいいってもんじゃないよね。さて仕事しよっと。

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東日本大震災から10年。 [日々感じること]

震災列島日本。

いつ何が起こって人が死ぬのか分からないという、自然とともに生きてきた日本人。阪神淡路の時は23歳で、正直震災のすさまじさを感じるには距離があったし、大学を卒業するタイミングとか就職するタイミングで自分のことで精一杯なところがあって、自分の中に残っているものが殆どないんだけど、東日本大震災の時の衝撃は、人生観や死生観も変えるほどのものでした。自然には太刀打ちできない人間です。震災後、八戸の海に行きまして、海を見ながら、この海には何千、何万もの人たちが流されているんだなということを感じ、生きているということを感謝しながら生きると心に誓いました。

日本人はきっと、昔から「いつなんどき」っていう生き方をしていたのだろうと思いを巡らせています。それは自分勝手になれないし、お互い協力しながらじゃないと生きられないしということだと思います。死んで行った人たちの分も、精一杯生きていかなきゃいけないと思いますが、今の日本人がそんな風に思うには、日本人が日本人の中に持っていた大切なものを捨て去り過ぎてしまったように感じます。

テレビに映るドイツのメルケル首相の姿を見ながらこんなことを思った。

自分のなすべきことをなすために生きる。

それは、国民の幸せであり、選挙の時に約束したことであり、自分のことではなく党のためでもなく、自分の持てる権力、能力のすべてを使って成し遂げたい、なすべきことなのだろうと感じて、こういう姿はカッコいいなと思ってね。実際のメルケルさんのことは知らないけれど、そういう人がリーダーであれば、一つずつ何かが解決して行くように感じた。そんなことを思ってみると、環境活動家のグレタトゥーンベリさんとかさ、何かを訴える人は、自分に与えられた権利なんかよりも責任感によって、なすべきことに生活のほとんどの時間が使われているのだろうと想像できる。

パーティーとかさ
夏休みとかさ
不倫とかさ
お金とかさ

そういうことに興味があるうちは大事な責任のある仕事なんかできなさそうだよね。国に関わる大事な責任のある職業に就いている人は特にね。今パッと思いつく問題って何だ?

震災復興
拉致問題
たくさんのことを抱え込んでいる原発問題
少子高齢社会問題
コロナ問題
オリンピック問題
ジェンダー問題
国防問題
沖縄基地問題
森友加計問題
忖度問題
コロナ失業問題

このくらい思いついたけども、このうちの一つだって解決しようと思ったら、大変な力が必要よね。文字通り命懸けでやって初めてスタートが切れるくらいのことだと思うけど。

俺ずっと疑問に思っていることがあってね。拉致担当大臣の仕事ってどういうことなのか俺知りたいんだよね。大臣としてなすべきことはなんなの?ってずっと思ってたけど、何か実になることやってるの?実ってさあ、サラリーマン始めてすぐに、予実って言葉を覚えたけれども、予定があっての実だわ。せめて予を示して欲しいしさあ。全面解決です!っていうのは、なしでよ。

歴代拉致担当大臣を挙げておきますね。

塩崎恭久2006
与謝野馨2007
町村信孝2007
中山恭子2008
河村建夫2008
中井洽2009、2010
柳田稔2010
仙谷由人2010
中野寛成2011
山岡賢次2011
松原仁2012
田中慶秋2012
小平忠正2012
藤村修2012
古屋圭司2012
山谷えり子2014
加藤勝信2015、2016
加藤勝信2017
菅義偉2018、2019
加藤勝信2020

こんなにいたのね。佐藤区にとって謎の大臣です。日本人が日本人を救出するために任命した大臣です。是非とも頑張っていただきたい。

日本人なら誰でも一度はやったことある「合掌」という宗教観。ありがとうございますという思い。手を合わせれば、世界のどんな宗教の人も優しく迎えてくれると言われている、この仏教の教えを知っている日本人。農耕民族としてこころ穏やかな日本人のアイデンティティとして、せめてこれくらいは変わらずに受け継がれていくことを願う。

震災から10年経って、何か書こうと思っていたら、こんなことになりました。合掌。

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権力と責任とお金と嘘と逃亡 [日々感じること]

白洲次郎の本にも出てきた「noblesse oblige」の意味のことを最近よく考える。「財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴う」という理解だが、ここで言う義務とはいかに?

佐藤区では自分のことばかりを考えるなということだと思っています。

そんな佐藤区の区長である佐藤仁志さんは50歳を目前の派遣社員です。家借りるなんてことは今の私には出来ませんので、嫁さんには実家に母さんと一緒に住んでもらっています。脱サラして「俳優やるぞ!!」って言って頑張っていましたが、なかなか稼げるようにならなくて、ボーナスも20年以上もらってないし、とは言え、派遣でも雇ってもらっていることに感謝しながら、今は嫁の俳優修業を応援しつつ、家族を守るために頑張って生きています。区長とは言え、佐藤の守れるものと言えば今のところ家族だけですね。今の権力では、それが精一杯。住むところがあって、愛する家族がいてくれるということに十分幸せを感じています。ご先祖様に感謝です。

さて、ニュースやワイドショーに出てくる権力のある人たちを見てみよう。総理や副総理とかさ、権力を持った偉い人たちは、お金にも不自由していないだろうに、どうだろう?ちょっと言わしてもらうけど、自分の地位や立場を守ることだけに必死過ぎやしねーかな。佐藤区長が家族を守るのに必死なのと、権力のある人たちが身内や自分自身を守るのに必死なのと、同じな訳がない。もっともっと大きな何かを守ってこその権力なのだと思うのだがどうですか?

コロナだって、オリンピックだって、自分のことを棚上げにして取り組まなきゃ成功なんかするはずがない。お金の使い方だってそう。どこにお金を使うのか?国民の命や生活にお金を使うよりも、会長のプライドだとか、IOCやスポンサーへの責任だとか、総理や知事の駆け引きにお金よりも大事な時間を使うとか、なんだろう?誰かに責任があるように振舞って、自分自身が果たすべき責任はないという振りをしているように感じるぞ。原発の安全神話も嘘だらけの、責任放棄。地震列島に核廃棄物を安全に置いておける場所などなかったということは口が裂けても言えないのだろう。子孫に負担をかけるわけにはいかんと言いながら、既にどれだけ負担がかかっているのか誰もちゃんと計算しない。

負担と言えば、核廃棄物が天然ウラン並みの放射線レベルになるのに10万年かかるって知ってた?こりゃびっくりしたよ。まあ、そのくらい掛かりそうだわ。

そういうことを一つひとつ終息させていけるのは権力のある人だけに与えられている特権なのだが、その特権を誰も使おうとしない。偉い学者は分析しても影響力はないというのは、コロナの件でよく分かった。ルール違反の接待を受けて、それを咎められたら、病気を理由に辞職できる。同じ辞めるならごめんなさいと言って辞めればいいのに、ごまかそうとするから恥ずかしいことになるんだわ。

逃げるなよ。戦えよ。一つ一つ解決して行こうぜ!佐藤区は全力で応援するよ。区長、時代をときめく派遣社員ではあるんだけどさ。ま、そういうことだわ。

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コロナとオリンピックとコロナとパラリンピックと。 [日々感じること]

コロナ禍ってなんだったんだろう?

過去形にしてみた。オリンピックにワクチン接種は関係ないという発表があったので、政治家はコロナとオリンピックを別次元に考えているということが分かる。

そう思うと合点が行く。オリンピックに向けて実施されたコロナ対策はなかった。選手村を感染病棟に使うという案も立ち消えている。コロナよりも大事なことがあったからなのだろう。「コロナとオリンピックは別です」って誰かがどこかで言っているような想像が働く。

そもそもオリンピックってなんだ?

景気付けにやるんだということは理解できる。大会を開催する都市、国は経済的に盛り上がるし、国全体の空気がワクワクで包まれていって、未来に向かうエネルギーになるのはとてもいい。アスリートにとって人生をかける意味のある大会であることも理解できる。漫才師にとってのM-1と同じだろう。全く同じだろうと思える。

世界中が注目しているからこそどうしても成功させたいっていう思いで全精力をつぎ込んで運営しているということも理解できる。

でコロナだわ。

本当に国民はオリンピックで湧こうとしているのか?
世界中は日本でのオリンピックを楽しみにしているのか?
そもそも圧倒的な成功を収めるための画期的な施策をぶち上げているのか?

うーーん。スポンサーへの忖度でしかねーな。全精力をつぎ込んで忖度してるんだな。やらなきゃ命取られるくらい追いつめられそうだから辞めるって言えないだけだな。そもそもやる?やらない?よりも、やれる?やれない?っていう議論が必要なはずだねえ。俺チケットもTシャツも記念コインも買ったから、ちっぽけだけどスポンサーでもあるんだけどさ、辞めるってなっても怒らないけどなあ。

本当に、日本で本当の意味でのオリンピックはやれるのかね?
世界中は気の毒に思ってると思うんだよ。うちじゃなくてよかったって思っていると思うんだよね。もし辞めたらいくら請求されるんだろ?とかさ。IOCもJOCも誰も日本のことを考えて議論してないんじゃない?やれないって言うな!ってさ。男とか女のことなんかよりも、こんなナンセンスな前提での話をしている方がよっぽど変だよ。

俺に見えているオリンピック推進派の戦略は「やるって言ったらやる!以上!」っていう作戦にしか見えてないから、そんなリーダーにはついて行きたくねーなってことだけだわ。こんなに色んなことやってますから大丈夫っていう、圧倒的な戦略を見せてくれよ。もし今大した戦略がないってことは戦争だったら死ぬってことだぜ。戦争放棄してるからって戦略まで捨てちゃいかんだろうよ。

コロナで苦しんでいる人を基準には考えられないものかね。まさか早くオリンピック終わらないかなあって思うなんて、夢にも思わなかったよ

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政治に絡んで人が死ぬことの最たるものは戦争 [日々感じること]

近畿財務局の赤木さんのことを考えていて、なぜ国は間違いを認めないのかということを思い、オリンピックに絡んで安倍氏の名前が出てくることに違和感を感じ、死んだ人が顧みられないことに、悲しくなって来まして、いじめもそうだけど、誰かの行動が原因で人が命を落とす結果になるということをもう少しちゃんと考えなきゃいかんと改めて。

うちのご先祖様は太平洋戦争に乾物屋から軍に徴用されましてグァム島で戦死したという軍歴があります。要するに、お国のために命を捧げたということなのです。行きたくなくたって、右も左も男はみんな召集されているのだから、健康な体を持つ男子であれば戦争に行くしかなかっただろうし、町も村もとにかく万歳万歳で送り出していたんでしょうよ。そんな時代でした。このご先祖様の話を婆さんがしてくれたことがあるが、グァムに行く前に基地のそばの麦畑に婆さんを呼んで「この戦争は負けるから子どもを連れて疎開しなさい」と言われたんですって。国のために死地に向かうし送り出すし。とてつもない時代だわ。軍人という政治家にあおられて、戦争は勝つものだとして生きてきた日本人は、それがどんな悲劇をもたらすのかも分からないまま、殺し合いに参加してしまったんだなあ。

ま、その反省として、国のために命を捧げるなんてことは辞めよう!ってな国作りがあって、戦争も放棄されているし、個人は個人として尊重されているし、知りたいことは何でも知っていいよっていう時代になっているんでしょうね。

なんとも壮大な建前ですな。これは。現実はこんなどうでもいい建前で格好付けている場合じゃない!!

時の総理のために、佐川という男が、国のトップを守るぞ!ってな指示を出して、その結果責任感が強く、国民のために働くことを生きがいに感じていた赤木さんという真面目な方が、指示通りに動いてしまったことに悩みぬいた挙句、死を選択せざるを得ないところまで自分を追い込み、命を落とすということが、令和のこの世に起きているんですって。悲しいことだ。

誰のために生きることが尊いのか?戦争時は天皇陛下のためであっただろう、現代の赤木さんは主権者である国民のためであったのだろう。それが尊いのかどうかは分からないけど、時代が変わっても、国のために死ねる人がいて、この命懸けに対して、なんとも無責任な関わり方をしてくるのは、いつの時代も政治家なのだよ。命を懸けて!って言うのは選挙の時だけでね。なんの足しにもならん。まさか本当に死ぬことはないから、せめて命懸けで「すまなかった」と言えないものかね?どうなりたいのだろう?誰をお手本に生きてきて、誰のお手本になろうとしているのだろう?何で政治家になったんだろ?まさか自分のためとは言わないよね?政治家って絶対にたくさんの人の代表だから、個人のことを優先しちゃだめな仕事のはずだろう。あ!まさか仕方なくその仕事についている人って多いのかね?やることなくて父さん母さんもやってるからやってますなのか?もしそうならふざけるなと言いたい。そんな気持ちで務まるような仕事じゃないはずだ。そんな気持ちで持ってていい権力じゃないはずだ。

昭和の戦争のあと、多くの国民は、殺人者である自分を、家族を死地に送り出してしまった自分を許せずに、あの時代のことを封印して、残ったものの責任として、国作りのために生きて来た。高度経済成長期以降、この国は何か成長したのか?と考える。この何十年も成長してねえな。丁度俺の成長と同じ時間分、この国は成長してなさそうだな。現代を生きる人間の責任として、ここまでの国にしてくれたご先祖様に感謝して、立派な国民になりたいものである。そのくらいの責任は果たしたいと思う。戦争で死んだ身内がいる最後の世代として、もう少し日本の国作りに関して気にしていたいと思う。
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だからプロの世界は楽しい!! [日々感じること]

ラグビーワールドカップの話を今更してもって感じですが、凄くたくさんの人が、思いがけず感動していたんじゃないですか?佐藤は泣きながら見ていました。なんだか涙が出てきて仕方なかった。

何がそんなに凄かったんだろうという素朴な問いが頭の中を駆け巡る。

佐藤とラグビーとの関係は高校時代、同じグランドで部活を一緒にやっていたことから始まる。当時はスクールウォーズというラグビーが題材のドラマが流行っていて、そんな影響もあったんだと思うけど、野球部と同じくらいの人数がラグビー部にも入っていたんじゃないだろうか。グランドも一緒、トレーニングセンターも一緒ですから、横でトレーニングを見ていると、野球部とは比べ物にならないくらいのウェイトで筋トレをやっている。1年もすると体の大きさが圧倒的に変わって来ていた。首回りの筋肉の付き方は恐ろしいくらいだった。野球部だってそりゃ一生懸命鍛えてはいたけれども、ラグビー部に比べると貧弱な感じは否めない。同じ男として「こりゃ敵わねーわ」って心の中で降参していました。高3の冬、ふと思い立って同期の最後の大会を応援しに行って、初めて試合を見て、生のぶつかり合いを目の当たりにして、こりゃ凄い世界があるもんだと感じたものです。カッコよかったなあ。今でも思う。彼らには適わない(笑)

体の凄さで言ったら、レスラーや体操の選手や水泳の選手を見てももちろん感じるけれども、なんだろね?何が感動を呼んだんだろう?何が違うんだろう?プロレスや、他のスポーツに感動しないと言っているわけでは決してないけど、ラグビーは何かが違ったよ。

比べても仕方ないけど、野球にだってもちろん凄いところはたくさんある。一つ圧倒的に違うところをに気が付いた。ラグビーは毎日試合することができないスポーツだけど、プロ野球は週に6試合やって一日休んでを1年間140試合も続けられるスポーツだということだ。違いを言うとそこかもしれない。はたから見たら、野球ってそんなに大変なスポーツじゃないんじゃないの?と思うかもしれないが、やってみれば分かる。どれだけ筋力を総動員して硬くて小さなボールを扱っていることか。そして毎日やれるまで鍛え上げているからこそ、毎日ファンを喜ばせることが出来る。それはそれは生半可なことじゃない。毎日全力で野球をやり続けることって出来ないよ。好きなだけじゃとてもじゃないが続かない。140試合。20年。そこがプロ野球の凄いといことかもしれない。娯楽が少なかった時代、毎日見ることのできる野球に人々が熱狂したのがよくわかる。野球はそういうスポーツなんですねー。

話は変わって刀剣乱舞というお芝居を見てきた。変わり過ぎ!(笑)。にしても紅白歌合戦にも出ちゃうほどのあの刀剣乱舞ですよ。それはそれはチャンバラの嵐でね。これでもかこれでもかというくらいに戦闘シーンがあって。まさに刀剣が乱舞してるんですな。それが凄く楽しかった。俺はねえ。剣殺陣が好きなんですよー。生き死にが直結するから、舞台上に感情が爆発するんですよねえーー。道具の扱いもちゃんと意識しないと切っているのか、切られているのか、何をしているのか伝わらないし、うっかりしていると剣を壊すし、人も傷付けるし。それはそれはちゃんと鍛えないと、見せられるものにはならないんですよ。しかも、それを60ステージもやり抜こうとする覚悟が本当に凄いと思うよ。

最初に戻って人は何に感動するのかを思う。

もしかすると人は鍛え上げられた技術や肉体や精神に感動しているのかと思う。ただの技術や肉体というのではなく、「鍛え上げられた」という修飾語が付くから凄いんだと思う。選手である限り、これでもか、これでもかと鍛え上げようとするその精神に、神々しさがあるんだと感じる。そこに人々は感動するんだと思う。鍛えられていないものは才能のある子どもと同じで、よく出来ましたーーレベル。そこからいかに鍛え上げて、制御出来るレベルにまで洗練させる。だからこその技術であり、肉体でありなんだと。さらにそこに、チームのためにという思いが乗っかった時に、見るものを感動の渦に引きずり込んでいくんじゃないかと思った。こないだのラグビーはそこにさらに、メンバーのため、日本のため、ラグビーのため、家族のためとか、いろんなものがてんこ盛りに乗っかりまくっていたのかもしれない。

今年引退したジャイアンツの阿部慎之助が2軍の監督になってこんなことを言っている。

「期待の若手はいない。レベルが低いと分かって欲しい。」

2軍って言ったってプロですよ。日本の野球人の中で間違いなく上手な選手でさえ、もっともっとと思わなければ、毎日毎日お客さんの前に立てることを許される本当のプロのレベルには達することは出来ないということなんだよね。ポテンシャルだけじゃだめなんだと。本物のプレイヤーを目指すのであれば、とにかく一日一日何かを確実に手に入れていかなければいけないんだと。引退するまで毎日毎日。

だからこそプロの世界は楽しいはずだ。
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