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民主主義と自由主義を間違えると乱暴な人の集まりにしかならんぞ! [ニュース]

言いたいことは言ってもいいけどさ、民主主義っていう多数決は根底に「受け入れる心」がないと争いしか生まないと思うのだが、そういうことに気が付くのに佐藤区長40年近く掛かりました。

子どもの頃、佐藤区長はクラスの中でも明るくて元気で、お友達も多い方だったんだと思うが、要するに意見を求められる方の人間だと思って生きていたと分析します。文化祭や運動会でも「こうやろうよ!」って皆の意見をまとめる側というか、先導する側というかね。まあ、マジョリティの側の人間だと思って疑ってなかったよ。乱暴に書くと、少数意見は聞いたとしても、大して気にもせず、多数決をさっさと取って蹴散らしていくという感じかね。そんな気はさらさらなかったろうけれども、分析してみるとそんな感じ。

さて、大人になって今思うのは、俺ってマイノリティじゃね?ってこと。

今のマジョリティはネットの力を使って声を集めることが出来るようになった、俺が少数意見だと思っていた側の人たちなのかもしれないと感じている。俺が大雑把に発信していたものなんかよりも、繊細な感じを醸し出す意見に多くの人は賛同しているように見えている。時代は大多数という分け方が出来ないくらい、色んな意見で溢れているみたいだ。アメリカの選挙でそう感じたけれども、多数決がものすごく拮抗していて、民主主義が機能していないように思える。選挙の結果を認めることが出来ないから、勝ち負けという対立ばかりが取り残されている。それが現在の民主主義なのではないだろうか。

これまで声を挙げ辛かった人たちの声が聞こえてくるのはいいことだと思うし、多様性を尊重することは現代社会において必要な思考なんだと思う。でもさあ、俺は思うよ。差別の問題とか、ハラスメントの問題とか、「ソーシャルインクルージョンだ!」って多様性を謳っているように見えて、実は少数意見を排除しようとしていることとつながっているんじゃないかって。オリンピックの森さんの問題を例に見ても、かつてのマジョリティである古い思考回路を持つお年寄りを徹底的に排除するということは、差別にならんのかね?俺は子供に、男なら「女の子を守れるくらい強くなれよ」って言うし、女の子なら「男の子には優しくろよ」って話したいと思っているけどね。

民主主義、自由主義、多様性って言葉は聞こえはいいけれども、そこには仲間外れとか、対立とか、争いとか、そういうことと表裏一体の怖さがあるということに気が付いたよ。

そんで思うわけよ。ほとんどの自由は許されている国なんだから、せめて反対意見の人にも同じ意見の仲間がいるはずだよなっていうくらいの、「受け入れる心」を忘れないように生きて行こうよとね。トヨタの社長がスポンサーとしてコメント出していたけれども、あれも排除の思考だわ。そうではなく、今の日本の現状を認めた上で、「この国の悪しき慣習なのかもしれませんね」って、年寄りの高圧的な組織運営の在り方をいよいよ見直す時が来ましたなと、遅過ぎたかもしれないけれども、これからの日本を見ていてくださいみたいなことを発信出来たらよかったのかもなって思う。森さんみたいな人いっぱいいるよ。そんな人を選んだ人がいて、その人に頼り切っている組織のメンバーがいて、その人たちを選んだ人もいて。結局みんなの責任だと思うけど。それが民主主義だぞ。

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